痛みの記憶6

大学生活は、あちこちが痛いと言いながらも、
まだ何とか何とか無理してやっていた。

3年生になる頃には、
ツナギを着て、溶接や鍛金をしていたのだけれど、
どうにもこうにもやれなくなっていた。

先生達も親切で、
自分のペースで出来る範囲ですればよいと言ってくださった。

けれど、腰や背中や首や全身が痛くて、
そこにいることすら辛く、
通う事すらできないところまできてしまっていた。




休学とか退学を考え始めていた。

同級生や先輩や先生からは、
今まで頑張ってきたのにやめるなんてもったいない、
という意見がほとんどだった。

自分でも、今までお金も沢山かかってしまって、
親にも申し訳ないと思っていた。


そんな中でたった一人、「やめてよい」と言う人がいた。

その子とはクラスメイトだけど
ちゃんと会話をしたのは、あの時、帰りのスクールバスの中で。
それが最初で最後だったと思う。

私が身体の事で学校に通えなくなってきて、
やめるかどうか迷っていることを話すと、

「えー!?そんなになっているのに、無理することないじゃん!
やめなよ!やめていいよ!」とキッパリと言った。

実は私はその子の事が苦手だった。

言いたいことを言って、好きなことをして、
キラキラして、イケイケで楽しそうにして、
ちゃんと自分を生きている人。

羨ましくて、眩しかった。
エネルギーが強くて、
気後れするから苦手意識があったのだった。



その子が、やめなよ!と言った瞬間、ストンと納得した。

安心して泣きたい気持ちで、
そう!ありがとう!と思った。


自分の中ではもう決まっていたのだ。
ノートにも結論は書いていたのだ。

もう頑張らなくてもいい。やめてもいいのだよ、と
誰かに言って欲しかったのだと思った。

それが自分でさっさと出来ていたら
そんなに辛くなるまでがんばろうとしなくても
よかったのにね。




休学の手続きをして、
次にロッカーの荷物を取りに学校に行った時には
7月の夏の日差しがギラギラと眩しくて、
痛みと暑さでめまいがした。

もう10歩も歩けない状態だった。

身体と心は、
まるでネジ巻式のオルゴールが、
最後の最後に、力をどう振り絞っても音を鳴らせずに、
出し尽くしました…って言っているみたいに、
空っぽになってしまった。

ああ、終わっちゃった…とつぶやいて、

前にも後ろにも進めずに、
校内の坂道で呆然と立ち尽くしていた。




e0303355_15462462.jpg


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


[PR]
by shugeibu45 | 2017-02-17 16:05 | 痛みの記憶(体験記) | Comments(0)

余談ですが、

姪のみーこは素晴らしくポジティブ、
ときめきルンルンガールです。

頭の中の80%はルンルンで占められているらしい。

e0303355_13265077.jpg
なぜか、どや顔(≧∇≦*)


e0303355_13265643.jpg




数年前、本人がこの絵を描いたのも、
私と何か会話をしていて、
聞き間違いから、自分の頭の中を描いていた。

全然違う話をしていたのに(笑)




心配しない、悩まない、後悔しない、引きずらない。

ポジティブへのスイッチの切り替えが素晴らしく早い。

何か嫌なことがあっても、

「ああ、嫌だな~。(完)」
「面倒くさいな~。(完)」
「やっちゃったな~。(完)」

それで完結出来てしまうらしい。

それ以上あれこれ考えて心配したりはしない。

ひとつひとつを「。」(まる)と完結できたら
ものすごくいいよね。

心が病まないから、身体もきっと病まないね。

今を生きている感じが、みるひーみたいだね。

わんこは、ワンワン!と怒ったかと思うと、
振り向いた瞬間にはもうニュートラルな状態になっている。

呑気過ぎて、え??と思う事も、
イライラすることも時にはあるけれど、
あり方の、私の身近な良いお手本だなと思います。




17歳になったときめきルンルンガールは、
チア部でポンポンを振って、人の応援までしている。



e0303355_13555779.jpg


≪≪痛みの記憶1 
http://shugeibu45.exblog.jp/24618247/
≪≪痛みの記憶2 http://shugeibu45.exblog.jp/24684088/
≪≪痛みの記憶3 http://shugeibu45.exblog.jp/24689642/
≪≪痛みの記憶4 http://shugeibu45.exblog.jp/24695950/
≪≪痛みの記憶5 http://shugeibu45.exblog.jp/24745183/
≪≪痛みの記憶5-2 http://shugeibu45.exblog.jp/24981964/
□痛みの記憶5-3 http://shugeibu45.exblog.jp/25230350/

 Cherry Creek・手芸部☆ようこ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



[PR]
by shugeibu45 | 2017-01-24 14:04 | 痛みの記憶(体験記) | Comments(0)

「外的自我境界が弱い」とは何だろう。

カウンセラーさんが例えて教えてくれたのは、

「向こうの方でガチャンッとガラスの割れる音がするとするでしょ、
そうすると、自分が痛い!と感じるの。」

それ分かります。それ、あります。


近くの山の小川には、数年前まで生活用水が流れ込んでしまっていた。

その小川には色々な鳥がいるけれど、
鴨が水浴びをしたり、潜って餌をとっていることもある。

そうすると、汚れた水をまるで自分が飲み込んだように感じて
苦しくなり気持ち悪くなる。

汚染された水を取り込んでしまった鴨が
これからだんだん具合が悪くなって、
どうやって生きていくのだろう・・・と考えて、
リアルに想像してしまう。


いろんな場面でいちいちそういう事を考え、
自分の事のように感じ、想像してしまう。


だからこの頃は、
テレビで事件のニュースなどを見ることを控えている。



(追記)
見ることを控えているといっても、
家族がいるのでテレビはついています。
全くシャットアウトしていることではありません。

先日は、遠藤周作さんの映画化された「沈黙」の
キリスト教信者の処刑や拷問のシーンが流れていました・・・

私はラジオを聴くことが好きです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・


[PR]
by shugeibu45 | 2016-11-28 13:08 | 痛みの記憶(体験記) | Comments(0)

痛みの記憶5

ここまで書いてみると、
何と苦しく我慢ばかりしていたのだろうかと思う。

身体は疲れて病む一方で、、
バカみたいではないかと悲しくなってしまう。

けれど、そうなってしまうのが私というひとだった。




実際、私の精神状態はあまりにも良くなかった。
良くない状態は物心つくころからすでにあった。

8歳の時、「空しいから死にたい」と母に言った。

「怖い」「空しい」がとにかくどっかりと心を支配していた。

3,4歳なんて、肉体を持った人生経験がほとんどないのに、
どこからこの思いが生まれたのか、
いつも疑問に思いながら生きてきた。



3年ほど前、再び心が辛くなり過ぎて
心理カウンセリングを受けた。

そこで、これらの「怖い」「空しい」は
「外的自我境界が弱い」と言いますと教えてもらった。

「特に名前を付けたり、気にする必要はないのだけどね。
そう言うのをレッテル貼(ラベル貼だっただろうか?)と
言うんだよ。」とカウンセラーは付け加えた。

だけど、学校生活は大変だったでしょう、と。

はい、とても大変でした。

とにかく、人の目や思いがたくさん気になり過ぎて、
へとへとになってしまうのだ。




幼いころ、異常に人見知りで、
ニコリともせずに固まったまま、いつも母の後ろに隠れていた。

食欲もあまりなく、
ブランコに乗せても漕ごうともせずに
じーっと座っている娘を、母は不安な思いで育てたことだろう。

幼稚園も小学校も怖くて行きたくない。

無理やりにバスに載せられて、毎日泣きながら通園していた。

初めてピアノのレッスンに行った時に、
一人でひけずに、母の指を一緒に持っていった。

友達と遊ぼうとしないので、母が友達に、
ようこと遊んでくれる?と電話をかけて、
遊びに行く。

けれど私は、わーい!と元気に遊ぶ事はなく
静かに人形で遊ぶ。

本当は、編み機でセーターを編む母の側で
静かに遊んでいる事が好きだった。

友達が多く社交的な母は、子供にもまた同じように
元気にみんなと遊んでほしいと思ったに違いない。




17歳で痛みを発症したころも
学校生活の中で大きな不安と焦りが渦巻いていた。

周りに人たちが、あまりにも元気で意気揚々と
そして、賢く見えた。

よーいドン!で社会という大海に勢いよく泳ぎ出す人たちを横目に
私は、泳げないと駄々をこねて、泳ぎだせないでいる
というイメージが浮かぶ。





e0303355_13112542.jpg



[PR]
by shugeibu45 | 2016-10-24 13:19 | 痛みの記憶(体験記) | Comments(0)

痛みの記憶4

今から2年前に、京都のホリスティック(全的)な
医療をされているH医師を受診した。

そこで化学物質過敏症になっていることを指摘された。

化学物質である薬を飲んでいる限りは
痛みはなくならない、というのだ。

そういう訳で10年間飲んだ薬を止めることが出来た。

止めた後しばらくは、離脱の症状でとても苦しかったけれど、
その事は本当に良いことだったと思う。

そうすると、痛みを発症した高校生の時に病院に行き
薬を飲んでいなくて良かったという事になるではないか。


昨年にはシックハウスアレルギー科で
化学物質過敏症の診断を受けた。

受診前に20ページくらいもある問診票に記入するのだけれど、
もうそれだけで私は完全に過敏症患者だった。

17歳で発症したけれど、もっと前からあったと思うよ、と言われた。




大学1年の終わり頃のことだっただろうか、
クラスメイトが留学するというので、代わりに
パチンコ屋でドリップコーヒーを売るアルバイトを頼まれた。

そこで大量のタバコ成分を浴びた。

その事を「曝露する」と言うらしい。

美大生はあの時代は、誰も彼もがタバコを吸っていた。
教室もクラブハウスも至るところモクモクだった。

タバコからは逃げようのない環境にいた。

アドバイトで曝露した私は2日目で風邪をひき、
そのまま気管支炎になってしまった。
通院もしたけれど、中々治癒しなかった。

当然アルバイトもすぐに続けることが出来なくなった。




他には、食べても食べても満足感が得られずになっていた。
今思うと過食症のようになっていたと思う。


そして、不眠症にもなり、2日も3日も眠れない日が続いた。


痛みと気管支炎の苦しさ、
ストレス、恐怖、不安感、絶望感などで
自律神経が参って、相当おかしくなっていたと思う。


それらの症状も、最近になって受診した化学物質過敏症の
医師の著書を読むと、みんな当てはまっていた。


あの頃分かっていたら何か手を尽くせただろうか・・・。



痛みの症状で17年が経ち34歳くらいの時に
診断されることになる「線維筋痛症」にしても、
私が発症して10年以上は、日本ではほとんど誰も、
医師さえもまだ認知はしていなかった時代だったと思う。

とても残念なことに、アナウンサーの女性が
生後4ヵ月の赤ちゃんを残して自死してしまうという
悲しいことが起こった。

その方は線維筋痛症と診断されていた。

世間にその病名が知られることになったのは
その時からだと記憶している。


止むことのない痛みと不安、
日ごとに増す痛みと倦怠感は、人を絶望させる。



慢性疼痛の患者さんは、
大抵は慢性疲労症候群やうつ病と言われて
精神科に回されるというパターンだった。



e0303355_10403680.jpg



≪≪痛みの記憶1 http://shugeibu45.exblog.jp/24618247/
≪≪痛みの記憶2 http://shugeibu45.exblog.jp/24684088/
≪≪痛みの記憶3 http://shugeibu45.exblog.jp/24689642/
□痛みの記憶4 http://shugeibu45.exblog.jp/24695950/
≫≫痛みの記憶5 http://shugeibu45.exblog.jp/24745183/
≫≫痛みの記憶5-2 http://shugeibu45.exblog.jp/24981964/
≫≫痛みの記憶5-3 http://shugeibu45.exblog.jp/25230350/


 Cherry Creek・手芸部☆ようこ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




[PR]
by shugeibu45 | 2016-10-03 10:42 | 痛みの記憶(体験記) | Comments(0)

痛みの記憶3

初めのころ、病院を調べたり受診しようとしなかったのはなぜだろう?

とは言え、あの頃は家庭にパソコンなんてまだ普及しておらず、
インターネットで簡単に調べるという事がなかった。
本や電話帳で調べるか、人伝に得る情報が頼り。


机に向かって勉強できない、
背中や首が辛くて下を向いて教科書を見ていることが出来ない。

泥のようにぐったりしているだけ。


知人のご主人が通っているという整骨院に通っていた。

車で40分もかかるし、とても混んでいて、
1,2時間も待つことになるので母には申し訳なかったけれど、
どんどん凝っていく身体をとにかくとにかくほぐしてもらいたくて、
学校帰りに1、2日置きに通った。


あの頃は特に腰痛がひどく苦しいと主に訴えていた。

確かに背中が固く腫れて盛り上がっている。

腎臓か肝臓か忘れてしまったが、
内臓が悪くなっているから、白いサルスベリの葉を
お茶にして飲むといいと70歳くらいの大先生は言ったと思う。



大好きだった部活の体操が出来なくなって途方に暮れていた。

進路をどうしようかとなった時に、美大進学を決めた。

ところが、
それもまた自分を苦しめることになる。



予備校に通い、英語などの勉強の他に
1日3~6時間座り続けて腕を上げてデッサンをし続ける。

白黒のものを長時間見つめることは
目に良くないということを後で聞いた。

頭痛も悪化する。

空腹になると神経性胃炎があり、お腹を抱えていた。
空腹が怖くて、ミルクティーを自販機で買ってよく飲んでいた。


神経性胃炎は12歳からあった。
下校の道端でしゃがみ込んだ。
子供だから胃が痛いという事が分からない。

お腹が痛いと訴えていたけれど、何か手当をした記憶がない。
それもまた仕方がないことだったと思う。

私が子供の頃から父は度々倒れては入院をしていた。
母は父の通院や介護で精神的にほとほと疲れていた。


胃痛と腰痛は繋がっている。
胃がんの人がそうだった。初めは背中が痛いと訴えていた。

腰痛は怒りであるという内容の本があったが、
それは確かにあると思う。
怒りや悲しみで神経が参って腰痛になることは
自分の体験からしてあり得ると思った。



美術予備校では、誰かが道で拾ってきた
やたら小さな背もたれ付きの椅子を
「腰痛ようこ」の専用椅子としてくれた。

そこに我慢して我慢して座り続けた。

私はどこまでも真面目だった。

そんなになってまでも罪悪感があって
休むことがほとんど出来なかった。



受験当日、肩も腕も背中もパンパンで、
顔面も痛みを通り越して麻痺したような感覚になっていた。

極度の緊張で一睡も出来ないまま受験して、

そうして、同じように苦しい一年が過ぎて、
一浪して入学した。



入学式の日、私の身体はすでに、
ボロボロのかすかすになっていて、必死に座っていた。

学部長の挨拶の言葉は、
「この学校は日本一課題が多くて厳しいです。
毎年、血尿が出る人もいます。
みなさんも覚悟してがんばってくださいね。」



・・・・(゚Д゚;)



美術が好きだなんて、、、
不器用な私は、予備校時代から1,2年生の間は
もうそこには1ミリも楽しさを見つけることが出来なかった。



e0303355_08033353.jpg


≫≫痛みの記憶4
http://shugeibu45.exblog.jp/24695950/

 Cherry Creek・手芸部☆ようこ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・



[PR]
by shugeibu45 | 2016-09-30 08:06 | 痛みの記憶(体験記) | Comments(0)

痛みの記憶2

前日までは身体に関しては割と元気だった。

友人と愛知県のデザイン博に行った。

節約のために青春18きっぷを使い、
祖父母の家に泊まり、
普通列車に乗り遠くて長い道のりを往復した。

とても疲れたけれど、旅行カバンを持ったまま
前から行きたかった横浜のある場所にまで立ち寄ったりして。


翌日、お土産を持って部活に行こうとした朝だった。

起きようとしたら、
とてつもなく重くてだるい身体になっていた。

その日から今日まで痛みは続いていることになる。



電子辞書など無い時代。
あの頃の中、高校生の通学カバンの中身はとても重かった。

首や背中や腕や腰、頭が痛くて持てない。

鉛を背負ったような身体は、
疲れて疲れて、だるくて歩けない。

母に駅まで車で送迎してもらいながら
なんとか通った。

学校にやっとたどり着いても、
毎日6時限まで、教室の椅子に
じっと座っていなくてはならない事は
腰が恐ろしく痛むので、大変な苦痛となった。

初めの頃は途中で早退することもしばしばあった。



試験前や当日は栄養ドリンクを飲んで
エイヤッ!とむりやり起きた。

一瞬、シャキーン!とする。
おお!軽い!
鉛の鉄兜を脱いで別の自分になったようだ!

けれど、
偽物の元気はすぐにまた元の
ぐったりと重い身体に戻ってしまった。



ああ、、、鉛の鎧のこの身体、、、

痛くて辛くて、思うように動けなくて、

イライラ、イライラ、イライラして、、、

分かってもらえなくて 
家では不機嫌の塊となった。



ある時、家族と言い合いになり キレた。

キレる時に頭の中でブチッ!と
何かが切れる感覚がして、とても驚いた。

そして、
ああ、、ダメだこれ。
私もとうとう終わったんだな、、、と思った。




e0303355_12575434.jpg




≫≫痛みの記憶3
http://shugeibu45.exblog.jp/24689642/


 Cherry Creek・手芸部☆ようこ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


[PR]
by shugeibu45 | 2016-09-27 13:07 | 痛みの記憶(体験記) | Comments(0)

痛みの記憶1

痛みの始まった朝を覚えている。

高校2年生の夏休みのこと。

朝、部活に出かけるために起きようとしたら
背中や首や頭、体のあちこちが恐ろしく重くて痛くて
やっとの思いで起き上がった。

平成が始まった頃のことだと思うので、28年前。
間もなく30年近く経つ。



・・・・・
繊細すぎる。過敏すぎる。
自分の身体と心の状態に疲れてしまう。

身体と脳に記憶された痛みや苦しみが
一瞬にして消えてくれたらいいのになと思う事がある。

けれど、そんなことにはならないので、
ひとつひとつを体験しながら歩いていくだけ。

耐えた、という訳でもない。
ただただ一日を、一時間を、一分を過ごした。

だけど、あの時体験したすさまじい痛みの数々が
その渦中では、一生続くのかと本気で思っていて、
恐怖と絶望の中にどっぷりとはまっていた。

しかしながら、30年近く経つ今では、
それが一生続くものではなかったと分かった。

これは私の場合であるけれど、痛みの度合いは弱くなった。

どのくらい弱くなりましたか?と聞かれて
ええと…500分1かな、などと答えることがある。

今だって、何かあると寝込むくらい痛い。
それはもう、、かなり痛い。

だけど、あのころ経験した痛みは、
例えようのない壮絶な痛みだったので、
そんな数字が出て来てしまう。

もしかしたら、痛みの発症から3,4か月の早目の治療で
もっともっと弱くなり、痛みはほとんど無くなった
という方もおられるだろう。
数年前に、実際にそういう薬剤師さんにお会いしたことがある。


時どき思い出すことを、自分の記録のために、
または、一生続かないと思うからきっと大丈夫という思いで
書いていきたいと思う。


≫痛みの記憶2 へ続く
http://shugeibu45.exblog.jp/24684088/


[PR]
by shugeibu45 | 2016-08-26 14:15 | 痛みの記憶(体験記) | Comments(0)