痛みの記憶4 化学物質過敏症を発症

今から2年前に、京都のホリスティック(全人的)な
医療をされているH医師を受診した。

そこで化学物質過敏症になっていることを指摘された。

化学物質である薬を飲んでいる限りは
痛みはなくならない、というのだ。

そういう訳で10年間飲んだ薬を止めることが出来た。

止めた後しばらくは、離脱の症状でとても苦しかったけれど、
その事は本当に良いことだったと思う。

そうすると、痛みを発症した高校生の時に病院に行き
薬を飲んでいなくて良かったという事になるではないか。


昨年にはシックハウスアレルギー科で
化学物質過敏症の診断を受けた。

受診前に20ページくらいもある問診票に記入するのだけれど、
もうそれだけで私は完全に過敏症患者だった。

17歳で発症したけれど、もっと前からあったと思うよ、と言われた。




大学1年の終わり頃のことだっただろうか、
クラスメイトが留学するというので、代わりに
パチンコ屋でドリップコーヒーを売るアルバイトを頼まれた。

そこで大量のタバコ成分を浴びた。

その事を「曝露する」と言うらしい。

美大生はあの時代は、誰も彼もがタバコを吸っていた。
教室もクラブハウスも至るところモクモクだった。

タバコからは逃げようのない環境にいた。

アドバイトで曝露した私は2日目で風邪をひき、
そのまま気管支炎になってしまった。
通院もしたけれど、中々治癒しなかった。

当然アルバイトもすぐに続けることが出来なくなった。




他には、食べても食べても満足感が得られずになっていた。
今思うと過食症のようになっていたと思う。


そして、不眠症にもなり、2日も3日も眠れない日が続いた。


痛みと気管支炎の苦しさ、
ストレス、恐怖、不安感、絶望感などで
自律神経が参って、相当おかしくなっていたと思う。


それらの症状も、最近になって受診した化学物質過敏症の
医師の著書を読むと、みんな当てはまっていた。


あの頃分かっていたら何か手を尽くせただろうか・・・。



痛みの症状で17年が経ち34歳くらいの時に
診断されることになる「線維筋痛症」にしても、
私が発症して10年以上は、日本ではほとんど誰も、
医師さえもまだ認知はしていなかった時代だったと思う。

とても残念なことに、アナウンサーの女性が
生後4ヵ月の赤ちゃんを残して自死してしまうという
悲しいことが起こった。

その方は線維筋痛症と診断されていた。

世間にその病名が知られることになったのは
その時からだと記憶している。


止むことのない痛みと不安、
日ごとに増す痛みと倦怠感は、人を絶望させる。



慢性疼痛の患者さんは、
大抵は慢性疲労症候群やうつ病と言われて
精神科に回されるというパターンだった。



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by shugeibu45 | 2016-10-03 10:42 | 線維筋痛症体験記【痛みの記憶】 | Comments(0)

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