痛みの記憶10 自然療法の手当て


そんな幽閉のような生活がどれくらい続いたのだろう…

多分、耳栓の数からしたら数ヶ月か、もっと一年くらいは経っただろうか。


ある時、どうにか繋いでいた糸がぷっつりと切れてしまった。

わーー!と叫んで、部屋の中のものを叩き壊した。

母が気が付いて、
大丈夫、一緒に治していこうと言って抱きしめてくれた。



鍼灸院の先生に、
もうだめかもしれない…と弱音を吐いた。

「オレも家族も周りが一生懸命に治していこうとしているのに、
アンタがダメだと思ってどうする!」と一喝された。

「だけど、本当によくがんばっていると思うよ…。」

いつも怒られてばかりの先生に初めてそんな事を言われた。



その後、少し回復した時に、
もしかしてだけど、27キロになってしまった私が
死んでしまうかもしれないと思った事もあるそうだ。
その時には治療師を辞める覚悟だったと。



病院には2,3年前のスポーツ整形外科のあと、
紹介された有名な脳神経内科、外科の医師を受診をしたけれど、
やはり原因も治療法も特には分からない。

又は、
アンタ鍼治療なんか信じてるの?◯◯◯真理教と同じじゃないか!と怒られて、
心療内科に回されてお仕舞いになっていた。
丁度、世の中ではある宗教団体が大問題になっていた頃。


やはり、
鍼治療だけを受けていて、
食べられなくなって27キロになって死んでいたら
大問題になっていたのではないだろうか…。


実際母は周りの人から、どうして病院に連れて行かないの?と言われていた。

だけど、私が鍼灸院にかかっていて、
毎週、講義のように薬や添加物、砂糖や肉食の害などの話を聞き続けて、
その考え方にどっぷりと感化されていたので、

もはやどんなアドバイスも聞き入れないことは分かっていた。

もし、病院に行っていたらどうなっていたのだろうか。

点滴を受けて、栄養補給もされて、
あんなにやつれて筋力も体力もなくなる程までにはならなかっただろう。

どうしてそう考えられなかったのか。

それは薬漬けになるから。

この数年後に、もっと良くなりたいと思ってしまい、
教えてもらった情報で受診した病院での治療で
結局そうなってしまったけれど、、、

手の施しようがなくなり、
麻酔と薬漬けの状態になり、更に苦しみを作ってしまった。

まだ気が付いてはいなかったからだけど、
私は化学物質過敏症があったので、
どの道苦しみは増えていた事と思う。



あの頃は薬や添加物の害を抜くために東城百合子さんの
「家庭でできる自然療法」の本を参考に
食事療法と手当をしていたわけだから。



鍼治療の先生に勧められて行っていた
手当は生姜のこんにゃく湿布と里芋湿布。


生姜湿布で温めて乳酸などの老廃物を浮き上がらせて、
里芋湿布でそれらを吸収させる。

これが本当に私の痛みを取るのには最高で、
他に勝るものはなかった。

生姜のこんにゃく湿布で肝臓と腎臓を温めると
気持ちが良くなり必ず眠ってしまう。


頭痛がもの凄かったので、頭にも里芋湿布をしたかった。

髪の毛を剃りたいくらいだと鍼治療の先生に言うと
是非そうしなさいとなり、

後頭部の下半分を剃ってしまい、
上半分の長い髪の毛で隠していた。

全部の刺激が痛みになるので
友達や恋人とも会えなくなっていたから
全部剃っても良かったのだけどね…。
23、4歳の娘の恥じらいがまだあった。



けれど、里芋湿布の支度は手間がかかり、
よっぽど気持ちをしっかりと持っていないと
続ける事は家族でもなかなか難しいかもしれない。

他に頼る術もないし
私は自分の事だからもちろん本気で取り組んでいたのだけど、
何しろ身体中痛いし、体力がない。

痛みが24時間絶え間なく起こっていたために、
夜中でも湿布をしたくなってしまう。

冬の夜中に母を起こすことは忍びなくて、
自分でがんばってみるのだけど、
それをする事でまた首や頭に痛みを呼んでしまいイタイイタイと言う。

母に、それだったら夜中でも起こしなさいと言われて、
どうしても頼ることになる。

だけど、
寒い夜中に里芋を擦る事や世話に、
母も家族も疲弊してしまった。


毎日毎日、娘のイタイイタイを聞きながら、、、
また、寒い痛い大変だと文句を言われながらの手当の準備に、
お互いを労わり助けたいにもかかわらず
どうしても苦しめ合ってしまう。


ここでもやっぱり我が家は母ばかりになってしまう。

母にしたら、もっと夫が父親として
家族に関心を持って、
どうした?と一言でも声をかけてくれたら…、
もっと向き合ってくれたらいいのに…と責めてしまう。

ちゃんと意思の疎通が出来ていないので、
そうい願いがただただ怒りになっていく。


夫の病気、、
次は娘の病気、、、
私が一人で抱えて何でもしなければならない。
どうしてこんなに苦しんだろう、、、
と母は鬱々する。


その空しくて寂しい気持ちは、
冬の寒さと、
里芋を擦る時の擦り傷の痛みと、
里芋湿布に入れる生姜とごま油と
古くなった里芋湿布の匂いと共に
母のトラウマにもなってしまった。




「ねえ、、これいつ治るの?」

「私(オレ)には誕生日もクリスマスも何の楽しみもない。」

「本当にこれでいいの?」


うん、本当に申し訳ないと思っている。

でも、、

そんなこと言われても、、
私が聞きたいよぉ、、、

私いつ治るんですか????



自分が迷惑な存在だと思って、
益々消えてなくなりたくなる・・・。


by shugeibu45 | 2019-01-09 07:59 | 線維筋痛症体験記【痛みの記憶】 | Comments(0)

痛みの症状(線維筋痛症・化学物質過敏症)があるけれど、ささやかな手芸活動Cherry Creek(手芸部☆ようこ)と大切な友達との繋がり、自然に触れる事で癒されている日常を書いています。(since2012.12)


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