痛みの記憶14 自然に癒される


冬のとても寒い日に雪が降った。

南天の木にも降り積もり、重そうに垂れ下がっていた。

思わず外に出て、ほうきで雪を振り払う。

寒いし疲れるからやめなさい!と母の声がしたけれど、

新鮮な空気と雪の感触が心地良くて、
しばらく銀世界を感じていた。



24時間やまない ぶっ倒れそうな頭痛や
身体中の細胞が悲鳴を上げているかのような
激しい痛みと吐き気でぐったりな状態なのに、

外の空気と雪と木々に触れているその時間だけは
すーっと身体から何かが抜けて、そして入って来て、
身体の芯が少しだけシャンとなって
苦しみが半分になったような気がした。



確実に私を癒し、力をくれている。

自然の力ってすごい!



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それから少しして、
ほんの近くの山の麓の市民農園が見渡せる歩道を
よたよたしながらゆっくりと散歩してみた。


普段は、誰と会ったなどの報告や会話を一切しない父なのだけれど、
私の姿を畑から見ていたらしく、
「ようこが歩いてたよ!」と母に報告したらしい。

さすがに驚いた出来事だったのだろう。





それから少しして、
近くの梅林の丘にぐったりと重い身体を引きずるようにして登った。

丘の上は360度山が見渡せる。
ここはお散歩でよく来ていたお気に入りの場所。

3回くらいゆっくりと丹田呼吸をする。

深呼吸がこんなに体力を使う事だと驚く。

そうするとやっとお腹がすいて、
一口のおみそ汁も食べた後ぐったりしないでいられた。


それから、
少し下ったところにある山桜の木に必ず会いに行く。
この頃会える唯一の友達のようだった。

両手で抱えて、目を閉じて桜の体温を感じる。

「寒くて厳しい冬が終わったら、必ず春には咲こうね。」と話しかけた。



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梅林の何百本の梅が咲きだすと甘い香りに包まれる。

裸足になって大地を感じ、寝ころんで空を眺めていた。



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小川の中に手を浸すと、
つんつんと小魚がつついてきた。


個々の境い目がなくなって、
自然の一部に溶け込んで、
私が人間でないような気がした。



その頃から、そして今でも、
家の中にいてパソコンや暖房や
電化製品によって辛くなると外に行く。

葉っぱを触り、土を触り、
水を触り、雪を触る。

そうやってアース出来ることを
身体が知っていて、求めている。



そんな風にして
たくさんたくさん自然の中で癒されてきた。



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# by shugeibu45 | 2019-01-13 07:05 | 線維筋痛症体験記【痛みの記憶】 | Comments(0)

痛みの記憶13 再び音を聴いた日


音が異常に響き、耳栓をする生活はとても孤独で、
とてつもなく長く感じた。


日差しが暖かな1月4日の事、
母が外の空気を吸いに行ってみない?と私を誘った。

それはものすごく勇気の要ることだった。

無理だと言ったけれど、
山の中にあるグランドへ母の運転する車で向かった。

たったの5分の距離の遠出。

敷物とクッションに腰を下ろして、
頬に当たる風を感じていた。

数ヶ月振りに暖かな太陽の日差しが私を包む。



母が耳栓を外してごらんと言った。

それはもう絶対に無理だと思っていた。

けれど、何となく大丈夫のような気もしてきた。


右側の頭痛の方がひどかったので、
恐る恐る反対側の耳栓をゆっくりと外してみた。


サラサラと笹の葉が風に揺れる音と小鳥のさえずる音

それはまるで初めて地球の音を聴いたような新鮮な感動で、
キラキラと光が降って来るかのようだった。

少しして、ハッと不安にかられてまた直ぐに耳栓をした。

1分にも満たないひと時の音のある世界は
暗黒な療養生活に微かな希望をくれた魔法のようだった。




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# by shugeibu45 | 2019-01-12 07:51 | 線維筋痛症体験記【痛みの記憶】 | Comments(0)

後光ごっこ✴︎


夕日が沈む時間を毎日楽しみにしている♫


太陽を掴んでみたよ!


パワーーー!!!

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ほら、そこに立ってごらん、
おじちゃんにも後光が射してるよ☆
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「太陽触れるぞ!熱いっ!」だって(≧▽≦)

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太陽が日毎に富士山に近づいているよ♫

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素晴らしい後光だ!


目が痛いね!って言いながら
毎日遊んでいる (๑˃̵ᴗ˂̵)☆


 CherryCreek・手芸部ようこ
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# by shugeibu45 | 2019-01-11 08:00 | | Comments(0)

痛みの記憶12 体験記を書く中でインナーチャイルドが癒される


この体験記を書いていて、何か不思議な体験をしている。


書いていると当時の苦しみを思い出してぐったりとする。

パソコンに向かって頭を使い過ぎると、
胃腸にエネルギーが回らずに気持ち悪くなるし、

全身がズル剥けのようにヒリヒリとして、
身も心も痛んで、体を抱えてうずくまる。

しばらくそうしているといろんな思いが出現してくる。




線維筋痛症を発症する半年程前の
高校1年の冬に、体育のハンドボールの授業で
右の人差し指を突き指をして骨折した。

学校の近くの病院で添え木を当てられて、
安静にするように言われていたのに、、
負けず嫌いの私は部活に出て鉄棒をつかんでいたし、バク転もして大会に出ていた。

指先の骨はもちろん付かずに手術となってしまった。

それが、なんと麻酔が効いていなかった。

指先はおそらく一番敏感な所。

看護婦さんが痛いって言っていいのよと
言ってくれたのに、何故かひたすら耐えていた。

小さく痛いといったと思うが、何故か麻酔が効かない。

何の罰か虐待かと思うほどの、
気絶しなそうな激痛を感じ、
人生において、こんな苦しみはもう二度とないだろう、、
今さえ耐えたら、、、と思い、耐えることになってしまった。

その半年後に全身の痛みを発症したので、
この時に痛みスイッチが入ってしまったのだと
思っている。わからないけど。


夕方、手術が終わると体力を消耗し尽くし、
へとへとに疲れてしまい、
母に駅まで迎えに来てくれるように電話をした。
急に心細くなり、今日起った恐ろしい出来事を
早く聞いて欲しくなった。

車で来てくれた母は、
もう、、何やってんのよ、、と呆れて少し怒って言った。

忙しいのに迷惑だわ、、と捉えてしまった。

泣きそうな気持ちを話すことはやめた。


・・・

昨日、部屋でうずくまっていると、
忘れていたその頃の事がリアルに再現された。

ああ、、痛みに耐えた時の恐怖もそうなんだけど、
その後のことが寂しかったんだ、、、。

ケアされたかったんだね、、と分かった。


その時の16歳の私に、
もう大丈夫だよ、怖かったね、痛かったね、
無理しないで安静にしていたらよかったね。
痛いから麻酔を追加してくださいと言えたらよかったね、、、。
と言って、ぎゅっと抱きしめた。






また、
10代のころの私は、
超高層ビルの上から落下して、
摩天楼の夜景の中に飛び込みたい願望があった。

空しい心の自分をなくしてしまいたくて、
現実逃避の為に、憧れのように毎日その妄想をしていた。

決して地面に叩きつけられて死にたい訳ではない。
エンジェルフォールのように、落ち切る前に
途中で霧のように消えてしまうかのような、、、。
胸の苦しみごと。




昨日うずくまっていると、
久しぶりに妄想の中で高いビルから落下して
空中をゆっくり飛んでいた。

すると、あと3メートルくらいで地面だというところで
カラフルなお花の絨毯が横からすっと表れて、ふわりと私を受け止めた。

そして、私の大好きな畑や自然の中に連れて行ってくれた。

そこには
4歳、10歳、16歳、17歳、18歳、21歳、24歳とそれぞれの年齢の私がいて、
私と16歳の私を迎えに来て、
みんなで手をつないで輪になった。

もう大丈夫だよと言っている。しかもみんな笑顔だ。

ああ、インナーチャイルドが癒されたんだと思って、嬉しくて泣いた。



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誰かや何かに癒してもらうのではなくて
こうして自分で癒せるのだと分かった。






エンヤの静かな曲にも助けられている。


# by shugeibu45 | 2019-01-11 07:59 | 線維筋痛症体験記【痛みの記憶】 | Comments(0)

痛みの記憶11 心の解放と考察


「アンタが最初に行くべきところは
整形外科でも内科でもなく、心療内科だったんだよ。」

鍼治療の先生は、
私が心にたくさんの苦しみを抱え過ぎている事に
気が付いてくれた初めての大人だった。


「とにかくアンタは思っている事を口に出しなさい。
それで相手がどう思おうが、泣こうがわめこうがどうでもいいから!」


両親を呼んで私の状態を説明してくれた。

その日か翌日の、暮れの12月30日の事。

説明を受けて帰って来た父が、
先生がようこは思っている事を言えってよ、と言うので、

じゃあ、、と話し始めたが、、
堰を切ったら、、、3時間!


この頃は未だ、母と共依存で苦しんでいる事に
自分で気が付いていないので、
母が唯一の理解者だと思っているし、
実際にそうだったけれど。
日常的に世話も何もかもを母に頼っていたので、
母に対してよりも、
無関心な父に対しての不満が膨大にあった。


私がぶち撒けた事により、
母もぶち撒けたので、
父もオレだってと初めて自分の思いを口にした。

殆どは、母の父に対しての
または逆の、お互いの不満だけど。


父はまさか私が自分に不満が向けられている事は
全く想像もしておらず、心底びっくりしていた。

その日は頭の中が興奮して眠れなかったと言っていた。

だけど、
あれだけ凄まじい思いの交換をしたと言うのに、
2、3年後には何も覚えていなかった!

忘れることが大得意である。

一方私は、忘れられない事が大得意なのでとても苦しい。



父は相槌を打たないし、思っていることを口にしない。
顔の表情もまったく変えないので、どう感じているのか分らない。
私たちは壁に向かって話しているようなものだ。


いつもそうだけど、この家族は、
ぶちキレる前に穏やかに会話をしていれば済むものを、
お互いがそれが一切出来ないので、
不満になり、怒りになり、責め合っている。


本当は父は穏やかな平和主義者。
良いも言わないけれど、悪いも言わない。
悪いように言うと無関心。

他人の思いや空気を読み過ぎる
外的自我境界が超薄い私とは正反対のタイプ。

えっ!?今それを言っちゃう??と
耳を疑うような辛辣な発言をしてしまうことが
多々あるので、聞いていて焦るけど、、、。

でも他人と争うつもりはなく、常に平らかで、
焦ることなく、マイペースで非常にゆっくりとしていて、
一人でいる事を好む。



多分、会話が普段からスムーズに出来ていたら
家の中がこんなことにはならないと思う。

そういう方向に持っていけなかった周りの家族にも非はあると思う。


私が今家族と離れて暮らしてみて思える事。

色々な家庭の「夫」や「お父さん」と交流してみて、
父に対して見えてくる良いことがある。


だけど父は、
会話や同調すること、それが不得意。

不得意だと言う事に周りが気がついていない。
だから苦しんだ。


数年前に心理カウンセラーに教えてもらった。
レッテル貼りはしなくていいんだよと言いながら私の事を、そして父の事も。

え?!だって父は勉強の頭がすごくいいんですよと私は驚いて言った。
先生は、そうなのですよって。

本を読んでみたら9割型当てはまり、
オレの事だ、、と父も言った。

なんだ、、そういう事だったのか、、。

じゃあ責めても仕方ない事だったんだね、、。

知らないことは悲劇。

そのすれ違いが我が家の “家族という病” であり、
こんな風に病気という形で家族の歪みが表れているというのもあるだろう。



私が今、毎日畑にいて癒されている事はそこだと思う。

とにかくよく会話をする。

ああ、そうか〜。
へぇ、そうなんだ。
なるほどね〜。

そんなやり取りがあって、
心が満たされて癒されているように思う。


その中でも私にしか愚痴を言えない人がいる。
私は家の中で散々その役割をして来たので、もうゴメンだ。
だから、直ぐにみなさんその人の思いを伝える、
みんなで少しずつ協力してやって行きましょう!と。

直接本人に言えばいいのに、そうしないと気が付かないよと言っても、
嫌な事は言いたくないから、、と言う。
だったら私にも言うなよ!という感じ。
もう40年以上の家族同士の付き合いなので何でも言える。
娘がいないので、娘ってこえ~な、、と思っているでしょう。

自分の苦しみが明確になっている。
もうゴミ箱にはなりたくない。




そして、
この体験記がまた書けるようになった。

更に、私が今これを再び書き始めるのには、
先日書いた、「人生相談 我が家の反響」
母との関係を見つめる事が先になされて、

それからでないと、
2年前に止まってしまったこの続きが書けなかった
ということが今分かった。



線維筋痛症の痛みの体験記を書いているのに、
結局ここに話がいってしまう。

家族の事は向き合わざるを得ない最重要課題なのだなぁって、、、。



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# by shugeibu45 | 2019-01-10 08:11 | 線維筋痛症体験記【痛みの記憶】 | Comments(0)

痛みの症状(線維筋痛症・化学物質過敏症)があるけれど、ささやかな手芸活動Cherry Creek(手芸部☆ようこ)と大切な友達との繋がり、自然に触れる事で癒されている日常を書いています。(since2012.12)


by 手芸部ようこ
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