お正月飾りもおしまい


お正月飾りに付けたピラカンサスの赤い実を
可愛いジョウビタキが食べに来るよ♫


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私のスマホのカメラはズームが弱いから
見えるかな?
右の竹の上に留まっているの♫


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半分無い♫
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こっちの方が食べやすいね♪
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ジョウビタキは賢くて人に寄って来る。

昨年の冬に笹やヤブカラシの根を取るために
深く掘り起こしていると虫が出てくるので、
それをちゃんと待っている。

そして餌を提供してくれる人と認識したのか
アパートまで付いてくる(*^-^*)





お正月の七日が過ぎ、
輪飾りも外して、豊作を願いお焚き上げ。



そこからの〜焼き芋大会♫

サツマイモは猪さんにやられて畑には無いので、
掘り立ての赤芽芋だよ~\(^^)/


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 CherryCreek・手芸部ようこ
・・・・・・・・・・・・・・・


# by shugeibu45 | 2019-01-09 09:21 | | Comments(0)

痛みの記憶10 自然療法の手当て


そんな幽閉のような生活がどれくらい続いたのだろう…

多分、耳栓の数からしたら数ヶ月か、もっと一年くらいは経っただろうか。


ある時、どうにか繋いでいた糸がぷっつりと切れてしまった。

わーー!と叫んで、部屋の中のものを叩き壊した。

母が気が付いて、
大丈夫、一緒に治していこうと言って抱きしめてくれた。



鍼灸院の先生に、
もうだめかもしれない…と弱音を吐いた。

「オレも家族も周りが一生懸命に治していこうとしているのに、
アンタがダメだと思ってどうする!」と一喝された。

「だけど、本当によくがんばっていると思うよ…。」

いつも怒られてばかりの先生に初めてそんな事を言われた。



その後、少し回復した時に、
もしかしてだけど、27キロになってしまった私が
死んでしまうかもしれないと思った事もあるそうだ。
その時には治療師を辞める覚悟だったと。



病院には2,3年前のスポーツ整形外科のあと、
紹介された有名な脳神経内科、外科の医師を受診をしたけれど、
やはり原因も治療法も特には分からない。

又は、
アンタ鍼治療なんか信じてるの?◯◯◯真理教と同じじゃないか!と怒られて、
心療内科に回されてお仕舞いになっていた。
丁度、世の中ではある宗教団体が大問題になっていた頃。


やはり、
鍼治療だけを受けていて、
食べられなくなって27キロになって死んでいたら
大問題になっていたのではないだろうか…。


実際母は周りの人から、どうして病院に連れて行かないの?と言われていた。

だけど、私が鍼灸院にかかっていて、
毎週、講義のように薬や添加物、砂糖や肉食の害などの話を聞き続けて、
その考え方にどっぷりと感化されていたので、

もはやどんなアドバイスも聞き入れないことは分かっていた。

もし、病院に行っていたらどうなっていたのだろうか。

点滴を受けて、栄養補給もされて、
あんなにやつれて筋力も体力もなくなる程までにはならなかっただろう。

どうしてそう考えられなかったのか。

それは薬漬けになるから。

この数年後に、もっと良くなりたいと思ってしまい、
教えてもらった情報で受診した病院での治療で
結局そうなってしまったけれど、、、

手の施しようがなくなり、
麻酔と薬漬けの状態になり、更に苦しみを作ってしまった。

まだ気が付いてはいなかったからだけど、
私は化学物質過敏症があったので、
どの道苦しみは増えていた事と思う。



あの頃は薬や添加物の害を抜くために東城百合子さんの
「家庭でできる自然療法」の本を参考に
食事療法と手当をしていたわけだから。



鍼治療の先生に勧められて行っていた
手当は生姜のこんにゃく湿布と里芋湿布。


生姜湿布で温めて乳酸などの老廃物を浮き上がらせて、
里芋湿布でそれらを吸収させる。

これが本当に私の痛みを取るのには最高で、
他に勝るものはなかった。

生姜のこんにゃく湿布で肝臓と腎臓を温めると
気持ちが良くなり必ず眠ってしまう。


頭痛がもの凄かったので、頭にも里芋湿布をしたかった。

髪の毛を剃りたいくらいだと鍼治療の先生に言うと
是非そうしなさいとなり、

後頭部の下半分を剃ってしまい、
上半分の長い髪の毛で隠していた。

全部の刺激が痛みになるので
友達や恋人とも会えなくなっていたから
全部剃っても良かったのだけどね…。
23、4歳の娘の恥じらいがまだあった。



けれど、里芋湿布の支度は手間がかかり、
よっぽど気持ちをしっかりと持っていないと
続ける事は家族でもなかなか難しいかもしれない。

他に頼る術もないし
私は自分の事だからもちろん本気で取り組んでいたのだけど、
何しろ身体中痛いし、体力がない。

痛みが24時間絶え間なく起こっていたために、
夜中でも湿布をしたくなってしまう。

冬の夜中に母を起こすことは忍びなくて、
自分でがんばってみるのだけど、
それをする事でまた首や頭に痛みを呼んでしまいイタイイタイと言う。

母に、それだったら夜中でも起こしなさいと言われて、
どうしても頼ることになる。

だけど、
寒い夜中に里芋を擦る事や世話に、
母も家族も疲弊してしまった。


毎日毎日、娘のイタイイタイを聞きながら、、、
また、寒い痛い大変だと文句を言われながらの手当の準備に、
お互いを労わり助けたいにもかかわらず
どうしても苦しめ合ってしまう。


ここでもやっぱり我が家は母ばかりになってしまう。

母にしたら、もっと夫が父親として
家族に関心を持って、
どうした?と一言でも声をかけてくれたら…、
もっと向き合ってくれたらいいのに…と責めてしまう。

ちゃんと意思の疎通が出来ていないので、
そうい願いがただただ怒りになっていく。


夫の病気、、
次は娘の病気、、、
私が一人で抱えて何でもしなければならない。
どうしてこんなに苦しんだろう、、、
と母は鬱々する。


その空しくて寂しい気持ちは、
冬の寒さと、
里芋を擦る時の擦り傷の痛みと、
里芋湿布に入れる生姜とごま油と
古くなった里芋湿布の匂いと共に
母のトラウマにもなってしまった。




「ねえ、、これいつ治るの?」

「私(オレ)には誕生日もクリスマスも何の楽しみもない。」

「本当にこれでいいの?」


うん、本当に申し訳ないと思っている。

でも、、

そんなこと言われても、、
私が聞きたいよぉ、、、

私いつ治るんですか????



自分が迷惑な存在だと思って、
益々消えてなくなりたくなる・・・。


# by shugeibu45 | 2019-01-09 07:59 | 線維筋痛症体験記【痛みの記憶】 | Comments(0)

痛みの記憶9 痛み地獄


五感の敏感さも異常さを増していった。

音も光もすべてが痛みとなった。


妹が、見て、これを買ったんだ!と
目の前に洋服を差し出した。

それが痛みとなって飛び込んで来た。

バットで殴られたかと思うくらいの衝撃を受けて泣き狂った。


目に入るものすべてがそんな具合になっていった。

部屋の本棚の本が目に入らないようにと白い模造紙で覆った

蛍光灯もまぶしくて、ローソクを灯して過ごした。



ある時、母が私のすぐ後ろで、
スーパーのビニール袋を畳むために
上下を持ってパーンと引っ張った。

その音に異常な痛みの衝撃を受けて、
痛い!やめて!!と叫んだ。



父がおはようと声をかけてくれた。
その声が衝撃となり頭痛が起こる。

家族に声をかけないように頼んで、耳栓をして自室で過ごした。

これは10個も使い潰した。
後に、溜めておいた箱10個を景品の耳栓と交換したので覚えている。


痛みを感じると、2,3日はとても苦しむことになった。
その時に出てくる恨みの感情に自分が恐ろしくなる。

家族には声をかけないでとお願いをして、
電気を消した暗い部屋で、
母とだけ最低限必要な一言を気を付けながら
ひそひそ声で交わすだけの生活。

身体中の激痛と強い吐き気で毎日ただ横たわっていた


空しくて苦しくて泣くのだけど、むせび泣くだけの体力がない。

ただ流れる涙をたれ流すだけ。
それをぬぐうために腕を持ち上げる体力もない。


線維筋痛症の痛みはよく
「血管の中をガラス片が流れるような痛み」と表現されて、
身体を触ることが出来ない人がいる。

私の場合は特に何か動作をしなくても、
身体がどんどん凝り固まって来てしまい、
30分置きにでもマッサージして欲しかった。

髪の毛と爪以外はまるで細胞の全部が
意思を持っていて、
ギャーーと叫び声を上げているような
これ以上ないと思えるほどの壮絶な痛みを感じていた。

もしかしたら、原爆にあった人たちは
こんな感じだったのではないかと思っていた。


母は横たわる私に、
「どうしてあげたらいいんだろう…。
髪の毛だけは良く産んであげたね…」と私のサラサラの髪の毛を撫でて小声で呟いた。


1分、10秒、、、時が過ぎるのが恐ろしく長く感じた。

10年、20年と時が一瞬に過ぎてくれたらいいのに、、と
時間と未来を恨めしく思っていた。


拷問のような、幽閉されているような生活に
どうしてこんな事になっているのだろうと悶々とする。

自分が悪かったのかとも思えてくる。

ほんの些細な意地悪や嘘や、
これまでの自分の行いを思い出して、
ぐったりと気持ち悪いお腹を抱えて、
床に頭を付けて、
ごめんなさい、ごめんなさいと懺悔した。

また、
子供のころに遊んでいた小さな人形を抱えて
それが自分の未来の子供のような存在に思えて、
「今はこんなに苦しいけれど、
お母さんはあなたたちにいつか会うためにがんばるよ…」
などと話しかけたりしていた。


細くて繊細な今にも切れそうな心と命を
ぎりぎりのところで皮一枚で何とか繋いでいたという感じ。



あのころの夢は、
母と5分間話ができたらいな。
ラジオを30分聴けたらどんなに世界が広がるのだろう…
というものだった。

そんな日が来るなんてとても信じられなくて、
果てしない遠い未来のことのように思えていた。




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# by shugeibu45 | 2019-01-08 09:21 | 線維筋痛症体験記【痛みの記憶】 | Comments(0)

痛みの記憶8 食べられない地獄


食べると背中がショック状態となり激痛が走る。

食べることがこんなに怖いのにお腹がすいている。
本当はものすごく食べたい。



ある朝、冷蔵庫の前にごみが散らかっていた。

誰かが何かをこぼしたのかなと家族がそれぞれ思っていた。

よく見るとそれは、冷凍庫に保存しているはずの
私しか食べない玄米粉の蒸しパンだった。

それが食い散らかしてある。

おそらくようこが夜中に食べていたのだろうという事になった。
それしか考えられないと。
しかも冷凍のまま。

夢遊病なのか?
よっぽど身体が飢えていたんだね…。

食べたのなら、
なぜ背中が張っていないのかが不思議だったけれど、、。



だけど、普段の食事は、玄米一口に、お味噌汁一口とカボチャを一口、
その程度を恐る恐る食べるという具合。

時々油断して一口でも多く食べると、そのショック状態たるや、、、

背中に走る痛みに苦しみ、
数日間は水さえも痛いということになってしまう。


食べることの楽しみが奪われてしまった。

全身の激しい痛みに加えて、
絶えず強い吐き気があり一日中ぐったりとしていた。



42キロあった体重が、みるみる落ちていき、
とうとう27キロの骨と皮になってしまった。

今は親指と人差し指で輪っかを作るとそれは手首の太さだけれど、
あの頃は二の腕がこの細さになっていた。

腕や足の骨からは、お肉じゃなくて、皮がプラプラとぶら下がっている状態。



2階の自室にはもう上がる体力がなくて、
1階の客間に布団を敷いて寝ていた。

ある時、大きく揺れて、
あ、地震だ!と思った。

けれど蛍光灯は揺れていないし、母に聞いても揺れを感じていない様子。

地震だと思ったその揺れは、自分の内臓が震えていたのだ。

翌日、鍼治療の先生に話すと、
私の身体が生命の危機を感じて、
熱を発するために内臓が自ら震えたのだと言う。


栄養が行き届かずに、手指の先は
皮膚が薄くなり破けて血がにじんでいた。

身体の先端の手足の先の枝葉は後回しで、
とりあえず生命に関わる中心部を守るために
そんなことが起きていた。



また、
痛みで2時間ごとに目が覚めてしまう、真夏の夜中の事。

いつものように眠れずに横たわっていた。

自分の手のひらをお腹にかざしてみると、
手のひらからビリビリと電気のような物凄い氣が感じられる。

手のひらをどこに動かしてもビリビリの氣が付いてくる。

あの日々以降、同じ事をしてもあれ程の氣を感じた事はない。

あのような生命の危機の中では力を発揮するのか。

自分を癒す力は自分にちゃんと備わっているか。



こんなにも消えてなくなってしまいたい程の苦しみの中、
それに反して私の身体は生きようとしている。

身体は確かに私のものなのに、
まるで別の意思を持っている生き物かのように、
良くなろう、治ろうとするのだろうか、、

それが宇宙の法則なのか、、

頭で考えても分からないレベルで
私たちは生かされているようだ。

生命(いのち)とは何という力を持っているのかと本当に驚いた。





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・・・・・・


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# by shugeibu45 | 2019-01-07 09:11 | 線維筋痛症体験記【痛みの記憶】 | Comments(0)

痛みの記憶7 療養生活の始まり


「痛みの記憶6」
を書いてから約2年が経っている!

それほど、痛みの記憶については書くことが辛い。
PCに向かっていて頭が痛くなるのに、
さらに内容はその辛い記憶を思い出す作業なので、
胃腸もおかしくなるから。

農家に嫁いだお友達が、
親戚一同集まるお正月のお嫁さん仕事が大変で、、、。
彼女は手が痛い病がある。

「でも、終わりがあるから有難いよ」と言っていた。

そうです。痛みに苦しむ者にとっての恐怖は、
終わりが見えないというところにもあると思う。

時に、終わりがあることって本当に有難い。

この激痛地獄が一生、永遠に終わらないのではないか、、という不安。

けれど、そうじゃなかったよ、
一番のピークはね、いつまでもじゃないと
自分に確認のために書き始めたことだった。

これは別にしなくても良いこと。

時々とても不安になる自分に、
20年数年前のあの日々からみたら
今はどれだけ楽になっているのかと自分に教えてあげるために、
下書きには時々書いていたのです。


・・・・・・ 

【 痛みの記憶7 】

大学3年生の6月に休学せざるを得なくなって療養生活が始まった。

その少し前から、近くの鍼灸治療院に通い始めていた。

痛みの原因を知りたいし、何とか治したくて
いくつかの大きな病院も受診した。


中学、高校の部活で器械体操をしていた。

宙返りの練習などで落下して、頭や背中を何度も強打しているので、
スポーツ整形外科も受診してみた。

けれど、
どこで検査しても分からずに、
来てもらってもすることもないので困る、、と言われてしまう。

それでも、背中はパンパンに腫れていて、
MRIの輪切りを見ても右側は異常な厚みがある。
痛みが苦しいので何とかして欲しいと訴えてみる。

医師は困った顔をして、
鍼で良くなった人もいますよ…と言った。


そう言うわけで、
近所の方が通っていた、直ぐ近くの鍼灸院に通う事にした。

徒歩2、3分の距離を歩く事が出来なかった。


鍼灸院の先生は玄米菜食で、自然療法を基本にされていた。

体質を変えることを目的に、
先ずは玄米菜食にするように指導された。

仙人のような風貌の先生は
波動やエネルギーの事を熱心にされていて、
大きな声で話し出すと止まらなかった。

常識とされている世の中のおかしいことなど、
治療時間の一時間はめいいっぱい講義を
受けているようなものだった。


初めのころは瞑眩と呼ばれる好天反応が強く出て、
治療後は立てないほど消耗した。

あまりにもひどい状態になっていたために
週に2回ずつ通うことになった。


お腹に鍼を打とうとするとあまりにも筋肉が硬くて入らない。

20代前半の娘のふっくらとした感触がまるでなく、
腰や、背中、肩、首、顔の頬さえもガチガチになってしまっていた。

鍼が曲がってしまい、土方のおじさんよりも硬い状態で
まるでぎゅうぎゅうと木の板に鍼を刺すみたいだと先生は言った。



今さえ我慢したら…と身体の声を無視して
痛い状態で鞭打ってあまりにも身体を酷使し続けてしまった。
その成れの果ての姿は、木片のごとき身体…。



玄米菜食に切り替えたのだけれど、
胃腸がだるく、重くなって、
吐き気がしてだんだん食べられなくなっていった。

身体も良くなるどころか
なぜかどんどん痛みやだるさが増していった。



ある時、ストレスからか
無性に硬いフランスパンをかじりたくなった。

食べてみると、背中にバーンと衝撃が走り、
肩や首や頭まで一直線に強い痛みが走った。

その日以来、ほとんど物が食べられなくなってしまった。

水を飲んでも背中や頭まで痛くなり、ショック状態になってしまう。
葛湯やカボチャをようやく一口食べるような食生活になってしまった。

更に、身体中が敏感になり、
音も響く、光も異常にまぶしい、それが全部痛みとなる。
だるさと吐き気で起きていられない。


なぜだか、どんどんどんどん…弱っていく…。



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# by shugeibu45 | 2019-01-06 10:49 | 線維筋痛症体験記【痛みの記憶】 | Comments(0)

痛みの症状(線維筋痛症・化学物質過敏症)があるけれど、ささやかな手芸活動Cherry Creek(手芸部☆ようこ)と大切な友達との繋がり、自然に触れる事で癒されている日常を書いています。(since2012.12)


by 手芸部ようこ
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