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梅雨と玉ねぎ


父の畑には玉ねぎが二畝。

梅雨入り前に収穫せねばー!とがんばってしまったらば、手が、首が…(><)


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昨年は父がなかなか収穫出来なくて放置していたら腐って来てしまったので、、玉ねぎは腐るのイメージが。


抜いて、根と葉を切って、4個ずつに縛って、吊して保存。

この作業が首が悪い私にはなかなか大変だ〜。


今、私のしている畑は3つあるので、けっこう身体が参っている。

梅雨入り前日、みんなが帰った夕方6時前の畑で わーん。゚(゚´Д`゚)゚。となった。

山元かっこちゃんが時々、わーんと泣きましたって言うじゃない。
わーんてなるの?!と思っていたけれど、、、なるね。

母が遅くに畑に来て、ハグしてくれて落ち着いたけれど、

私ってこんな風に感情をさらけ出す事をして来なかったよ。

ホメオパシーのカウンセリングを受け始めて4年くらいかな。

感情に蓋を閉め過ぎた能面みたいな子供時代をやって来たから病気にもなったのだけれど、、ちゃんとこんな風に変わって来た。

4、5歳の時からのやり直しをしてる感じでしょうか?(≧∀≦)

それに、、手伝ってと言っていなかったよσ(^_^;)

大抵のことを自分の中だけで考えたり思ったりしていて、アウトプットしていない。
それでは伝わらない。悪い癖。


それからは、
母と一緒に抜いて、翌日は収穫した玉ねぎを妹がバイクで2往復して運んでくれて、
乾かして、紐で束ねて、結んで家の軒先きに吊るした。

それでもまだ全部は終わってはいない💦


この作業も、、いえ、それだけじゃなくて、
全部のことを、父がたった一人でやっていたんだね…とみんなでしみじみ実感して、父を偲ぶ家族の良い時間となりました。

そんな時間をくれて、ありがとうこざいます…✳︎

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毎日毎日 畑作業ばかりでバタンキュー。
やっぱり私は転職したのかな。笑

 Cherry Creek・手芸部ようこ
・・・・・・・・・・・・・・・










by shugeibu45 | 2019-06-14 19:01 | | Comments(0)

父の四十九日


今日は父の四十九日。

早いのか遅いのか分からない。
時間が止まったままのような、、感覚がおかしい。

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父の戒名は私が付けました。

特別な事はしないのですが、
家に行ってやる事をして、母とみるひーと山の方へ散歩をして、父の畑もしました。




春の畑はやる事がたくさん。

先日から手伝ってもらって、
抜いたり、耕したりと作業し始めています。
自分一人だったら、いちいち立ち止まってしまい、なかなか手を入れる事が出来なかったと思うので、とても助かります🍀


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人参作りが得意でした。
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私ときたら、なぜかいつも種を持って来るのを忘れてしまう、、今日も。

でも、父の部屋の掃除をしていると沢山ありました!

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一番蒔きたかったカブの種は10粒でしたが(笑)、他の種も色々蒔きました。


父は誰にも干渉されたくないので、
いつも夕方、日が沈む頃に畑をしてしたなぁ。
私もそんな傾向があるなぁ。

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「ちゃんとあの世に行けただろうか。」と言うと、
母が、「パパが行かなくて誰が行くのよ。」と言った。

そう、だね。ありがとう。
母からそんな言葉を聞けて嬉しかったな。


・・・・・・・・・






by shugeibu45 | 2019-03-20 20:13 | 日々の出来事 | Comments(0)

叔母の足。それぞれの痛み


父のお葬儀の日、
私は痛みの強い時期で、頭や首が痛くうずいていました。

大寒波も来て翌々日は雪が降ったので、
気圧の変化もあったとも思います。

途中、横になって休めたら有り難いと思っていたら、
前日に担当の方が、お食事のお部屋を和室に変更してくれました。

父の弟のお嫁さんは足が悪く、引きずって痛そうでした。

低い椅子が用意されましたが、
和室になってしまってごめんなさいね…とお詫びしました。


叔母は気仙沼の出身。
あの震災で、実家が跡形も無く流されて、
両親のお位牌だけが海に浮かんでいたそうです。

町長をされた事のあるお父さんのお葬儀が3日間続いて、
その時に膝を悪くしたと言っていました…。

震災の前の事だけれど、
自分達が定年後に暮らそうと思って、
荷物を運んで置いてあったそうです。

もちろん、近所の方々はみなさん…。

どんな日々を過ごしてきたのかと思って、胸が苦しくなりました。



あの震災の日は、父がK病院に入院しました。

その前年の秋に交通事故に遭い、足に大けがをした。

運ばれた院内で肺炎になり、血痰が出ていましたが、
気が付いてもらえずに重症になり、
見立て違いで呑気なことを言っているうちに危篤となりました。

病院から病院へ、さらに大きな病院に運ばれて、緊急で気管切開しました。

せん妄状態になっていて、
夢の中で、「みいちゃん(孫)が、おじいちゃんを助けてください!と
(架空の)モリ ナルト先生にお願いしてくれたから助かったんだ。」と筆談で伝えていました。


肺炎が治り、父は生還しました。

すると今度は、
骨折した足を固定していた金属のプレートが手術ミスで折れていることが分かりました。

その再手術のためにかかりつけのK病院に母が運んで、
その帰り道であの震災が起こりました。

踏切がどこも閉まってしまったので大渋滞になり、
母は裏道をぐるぐると遠回りをしながらやっとの思いで帰ってきました。


とても寒い日で、
雪が舞って来て…
停電して、
放射能が降っていると聞いて…

翌日から私は熱を出してインフルエンザにかかっていました。


そんな風に我が家には
父の病気や事故や入院や退院した日の思い出がたくさんで、
さら私の病いも加わってしまい、

そのたびに母は右往左往してきたけれど、

父とのそんな日々は、もう終わった。

みんながそれぞれ悩み苦しみ、
それぞれの役割りをがんばった。


ゆっくり休んで欲しいけれど、
母は喪失感でいっぱいのようです。

夫婦ってそういうものなのかな…。


やっぱり父の、夫の存在感は大きいものです。

母は大変だし悲しみも大きいけれど、
そういう風に思えて良かったねとも私は思っている。

・・・・・・・

動画は気仙沼の人々の事をお話しされている山浦玄嗣さんの講演。




 






by shugeibu45 | 2019-02-11 12:24 | 心・マインド | Comments(2)

あの後の父は、


あの後、父は亡くなりました。

入院して6日目の夜でした。

また治って戻って来てくれると信じていたので、家族も驚いています。


やっと親族と父のお世話になった方で小さなお別れ会をしました。

私が過敏症なので、お焼香もお線香も百合などの香りの強いお花もなしで、

大好きだったジャズを流して、ピンクのお花とキャンドルで明るく飾りました。

この一番寒い季節に雪を降らせないでくれてありがとう*

私も痛みが出ていて、痛み止めを2回飲みましたが、
何とか見送ることが出来てホッとしています。


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亡くなるその日、
病院にすぐに来て!と母から呼ばれる前に、
みるひーと散歩しながら、山の父の畑に行ってみました。


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畑の隣の藪の笹が綺麗に刈ってあって、奥に入る道が作られていました。

畑の仲間によると、何やら一生懸命に切り拓いていたらしい。


庭も綺麗に片付けられていて、

こんな事は初めてで、
どうしたんだろう?と驚いていたのでした。

私が山から拾って来た枝とか、たくさんあるプランターの植物とか、、

そういう植木ゴミを山に運んでいたみたい。

腐葉土にするための落ち葉も集めては畑に運んでいたようで、、

色んな事をし過ぎていたから、
無理しちゃダメだよと言っていたんだよ、、と仲間のおじさんが教えてくれました。




母は、最後に会えた日にありがとうって言われたの!と何度も言っていました。


私が最後に会話したのは、救急車で運ばれた日。

「夜中にトイレで立てなくなっていて、腰も肺も辛そうなのに、
病院には絶対に行かないと言うので、ようこから説得して!」
と母から電話があった。


「お父さんは身体が弱いんだから、
大ごとになる前に病院行こうよ。
また土日になると休みで面倒になるよ。
早めに診てもらって、何でもなかったらそれでいいんだから…」

とゆっくりと伝えた。
そこに焦りや不安や責める思いは入れずに。

すると、
うん。とだけ言って電話を切ってしまった。


母がそのあと直ぐに救急車を呼んで、運んでもらった。


もう、また〜!夜中まで無理をしてるから〜!と責められたり、
焦ったり、不安がったり、、
そういうマイナスのエネルギーの中では
父は動けない。

そのことが分からないから、どんどん辛くなっていた家族。




救急車の中で、
今している翻訳の仕事は断る?と聞くと、
「いや、まだ。」と言う。

まだ続きをして、提出するつもりでいた。




いつも、かなり楽観している。

心配や悩み事はないと言う。

争いを好まず、自分からは誰かを責めたり怒ったりということもまずない。

そういう威圧的な、嫌な波動が一切ない。

独りを好み、いつも平らで淡々として、

思いや感情を言葉にすることは苦手だったけれど、
その日を穏やかに過ごすことで精一杯だったのかな。



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最期の日、
大人になってから初めて握った父の手。

普段は触られることが大嫌いだったけれど、
もう昏睡状態だったから。

手を握って、
思っていることを伝えた。


もう亡くなってしまった後、
私、実はお父さんの指の形が好きで、
見るとなぜか安心するんだよね、と言うと、

姪っ子が、
ようこちゃんの手って、おじいちゃんとそっくりだよ。ずーっとそう思っていたよ。と言った。

え、そうだったの?
全く気が付いていなかったよ。




3人の臨死体験をした方の本を読んでいたので、
父が今どのような状態あるのかを想像出来て、
苦しんではいないなということが分かったので、
不安はありませんでした。





亡くなってからお葬儀までに10日もありました。

家族が亡くなり、静かにしていたい時なのに、
お葬儀の色んな事を決めないとならなくて、
打ち合わせが何度もあって、

更に公のや何やら諸々の手続きがあり、

電話もひっきりなしで、
色々な方の色々なご意見もいただき、

こんなに大変なんだ、、と正直言って家族で疲れきっていました。

手続きの殆どを妹が動いてくれていて助かります。
でも妹も疲れて風邪引いちゃった。


姪っ子も随分大きくなっていて、
色んな事を一緒に考えてくれたり、
ようこちゃんの悩みは小さい!と言われてしまったり、、苦笑
今年はもうハタチだもんね。




父の最期の無言のメッセージをちゃんと受け取れるような家族になりたいです。

みんなで助け合いながら生きていきます。

これからもよろしくお願い致します。



*父の事はお気持ちだけいただきますね。)

・・・・・・・






by shugeibu45 | 2019-02-09 04:51 | 日々の出来事 | Comments(0)

HEAL〜奇跡の治癒力 見せてみろ!


父が肺炎とインフルエンザで入院しました。

母が、出来たら私にも救急車に同行して欲しいと言うので、
乗り込んで父の長い既往症を説明していました。
(今度、ワードでリストアップしておこうと思った(^^;) )

搬送先がなかなか決まらずに30分が経過。

閉所と暑さと、腰が痛くて座っていられないのとで、
動悸がしてしまい、とっても無理な状態に…。
私は救急車を降りて待機となりました。

すみません!役に立てなかった〜(T-T)

救急隊員が優しくて、頼もしかったです!
日本てすごいなぁと思いました。

線維筋痛症を初めて聞いたそうで(え?いまどきそんな事ある?)、色々聞かれました。


搬送先の病院でベッドに空きが無くて、
診察だけならばということで運ばれたのですが、

インフルエンザと肺炎と診断されたので、
そのままこの病院に入院出来るようにと
救急隊員が交渉してくれたそうです。



父は何度も死の淵から回復する物凄い生命力のある人なので、
おそらく今回も奇跡の治癒力を見せてくれることでしょう。


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家族もみんな疲れてはいますが、
今までみたいな心配や恐れの嫌な空気が
あまりないので少しは楽です。



母は父と行く予定だったHEALの上映会を楽しみにしていましたが、DVDで見る事にします。

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父もこの映画に出られるくらいの生命力だと思うわ。

天才的な “心配しない力”があるからでしょうね!

100%西洋医学しか信じない父にとっては
そこに恐れはないから効果も発揮されるのかな。
もうそれは父の生き方だからいいのです。



処置を受けたら少し楽になったみたいで、
大坂なおみちゃんの試合を見なきゃならないから、
テレビカード買って来て!とさっそく余念がありません。

寝込んでいる場合じゃないですね(≧∀≦)

ありがとう、なおみちゃん!がんばれー!

・・・・・・・・





by shugeibu45 | 2019-01-25 16:53 | 健康 | Comments(0)

痛みの記憶11 心の解放と考察


「アンタが最初に行くべきところは
整形外科でも内科でもなく、心療内科だったんだよ。」

鍼治療の先生は、
私が心にたくさんの苦しみを抱え過ぎている事に
気が付いてくれた初めての大人だった。


「とにかくアンタは思っている事を口に出しなさい。
それで相手がどう思おうが、泣こうがわめこうがどうでもいいから!」


両親を呼んで私の状態を説明してくれた。

その日か翌日の、暮れの12月30日の事。

説明を受けて帰って来た父が、
先生がようこは思っている事を言えってよ、と言うので、

じゃあ、、と話し始めたが、、
堰を切ったら、、、3時間!


この頃は未だ、母と共依存で苦しんでいる事に
自分で気が付いていないので、
母が唯一の理解者だと思っているし、
実際にそうだったけれど。
日常的に世話も何もかもを母に頼っていたので、
母に対してよりも、
無関心な父に対しての不満が膨大にあった。


私がぶち撒けた事により、
母もぶち撒けたので、
父もオレだってと初めて自分の思いを口にした。

殆どは、母の父に対しての
または逆の、お互いの不満だけど。


父はまさか私が自分に不満が向けられている事は
全く想像もしておらず、心底びっくりしていた。

その日は頭の中が興奮して眠れなかったと言っていた。

だけど、
あれだけ凄まじい思いの交換をしたと言うのに、
2、3年後には何も覚えていなかった!

忘れることが大得意である。

一方私は、忘れられない事が大得意なのでとても苦しい。



父は相槌を打たないし、思っていることを口にしない。
顔の表情もまったく変えないので、どう感じているのか分らない。
私たちは壁に向かって話しているようなものだ。


いつもそうだけど、この家族は、
ぶちキレる前に穏やかに会話をしていれば済むものを、
お互いがそれが一切出来ないので、
不満になり、怒りになり、責め合っている。


本当は父は穏やかな平和主義者。
良いも言わないけれど、悪いも言わない。
悪いように言うと無関心。

他人の思いや空気を読み過ぎる
外的自我境界が超薄い私とは正反対のタイプ。

えっ!?今それを言っちゃう??と
耳を疑うような辛辣な発言をしてしまうことが
多々あるので、聞いていて焦るけど、、、。

でも他人と争うつもりはなく、常に平らかで、
焦ることなく、マイペースで非常にゆっくりとしていて、
一人でいる事を好む。



多分、会話が普段からスムーズに出来ていたら
家の中がこんなことにはならないと思う。

そういう方向に持っていけなかった周りの家族にも非はあると思う。


私が今家族と離れて暮らしてみて思える事。

色々な家庭の「夫」や「お父さん」と交流してみて、
父に対して見えてくる良いことがある。


だけど父は、
会話や同調すること、それが不得意。

不得意だと言う事に周りが気がついていない。
だから苦しんだ。


数年前に心理カウンセラーに教えてもらった。
レッテル貼りはしなくていいんだよと言いながら私の事を、そして父の事も。

え?!だって父は勉強の頭がすごくいいんですよと私は驚いて言った。
先生は、そうなのですよって。

本を読んでみたら9割型当てはまり、
オレの事だ、、と父も言った。

なんだ、、そういう事だったのか、、。

じゃあ責めても仕方ない事だったんだね、、。

知らないことは悲劇。

そのすれ違いが我が家の “家族という病” であり、
こんな風に病気という形で家族の歪みが表れているというのもあるだろう。



私が今、毎日畑にいて癒されている事はそこだと思う。

とにかくよく会話をする。

ああ、そうか〜。
へぇ、そうなんだ。
なるほどね〜。

そんなやり取りがあって、
心が満たされて癒されているように思う。


その中でも私にしか愚痴を言えない人がいる。
私は家の中で散々その役割をして来たので、もうゴメンだ。
だから、直ぐにみなさんその人の思いを伝える、
みんなで少しずつ協力してやって行きましょう!と。

直接本人に言えばいいのに、そうしないと気が付かないよと言っても、
嫌な事は言いたくないから、、と言う。
だったら私にも言うなよ!という感じ。
もう40年以上の家族同士の付き合いなので何でも言える。
娘がいないので、娘ってこえ~な、、と思っているでしょう。

自分の苦しみが明確になっている。
もうゴミ箱にはなりたくない。




そして、
この体験記がまた書けるようになった。

更に、私が今これを再び書き始めるのには、
先日書いた、「人生相談 我が家の反響」
母との関係を見つめる事が先になされて、

それからでないと、
2年前に止まってしまったこの続きが書けなかった
ということが今分かった。



線維筋痛症の痛みの体験記を書いているのに、
結局ここに話がいってしまう。

家族の事は向き合わざるを得ない最重要課題なのだなぁって、、、。



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by shugeibu45 | 2019-01-10 08:11 | 線維筋痛症体験記【痛みの記憶】 | Comments(0)

痛みの症状(線維筋痛症・化学物質過敏症)があるけれど、ささやかな手芸活動Cherry Creek(手芸部☆ようこ)と大切な友達との繋がり、自然に触れる事で癒されている日常を書いています。(since2012.12)


by 手芸部ようこ
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