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タグ:線維筋痛症 ( 15 ) タグの人気記事

痛みの記憶17 安全基地を見つけよう


この体験記を書き始めた時にはまだとても痛みがあったし、
今だって時々ダウンしてしまうけれど、、、

何しろまだ自分の事がよく分かっていなかったので、
心は苦しいし、治っていないのに、
どんなふうに結ぶのかがわからなかった。

けれど、流れに任せていたら、
「安全基地を見つける」というところにたどり着いた。



10年前からお世話になっている線維筋痛症の医師は
お会いするとホッとする穏やかで朗らかな先生。

症状や困っていることを伝えると、
ああ、それはこの本に書いてあるよと後ろから適切な本を取り出して、
すぐさま必要なページを開き、
ボールペンで線が引かれた箇所を読み聞かせしてくださる。


昨年11月に受診した時には、待っていたよ!という感じで、
この前参加したという痛みの研究会で配られた資料を広げて見せてくれた。

「あのね、線維筋痛症の痛みの事がだんだんわかって来たんだよ。
多くの人が幼い時に家庭に問題があったりして、何かしらトラウマがあるんだって。
外で厳しいことがあって、どんなに辛くても、
家に帰ってくると、大丈夫だよと抱きしめてくれる。
そんな安全基地のような温かい場所があれば、人は何とか回復していけるんだって。」
と説明してくれた。

でも、、それが家庭では見つけられない人は
どうしたらいいのでしょうね、、と聞いてみると、

「それは家庭でなくてもいいの。
その人にとっての安全基地を見つけたらいいんだよ。」

「病院だってそうだよ。
患者の顔を見ないでパソコンだけを見て、
はい終わり、っていうのはダメだね。
患者さんの苦しみや困っていることをなるべく理解して、
回復するために寄り添って応援することが必要なんだけどね。
そうじゃないことが多すぎる…。」
とおっしゃった。


(先生に資料の写真を撮らせて頂きましたが、
ここに掲載してもいいのか分からないので消しています。)


なるほど、やっぱりそうなんだ。


線維筋痛症は脳内で痛みのブレーキが利かなくなり、
何かしらの刺激により、痛みをより強く感じ続けてしまう。

病院での痛みの治療を行うことにした時、
本意ではなかったけれど薬を使用した。

私にはどの医師も初めにセロトニン系の薬を使用した。


セロトニンは感情のコントロールや、
精神の安定に深く関わる脳内の神経伝達物質。
痛みのコントロールにも関係する。

セロトニンが大事ということは、嬉しいや楽しい、安心が一番の薬。

私にとってはそれは、
お世話になっている方たちや、理解してくれる方や友達。
そして、何と言っても畑と自然。

毎日安心をたくさんもらっている。



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未来の心配じゃなくて、今を楽しむ。


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安全基地があるから心が元気になってきて、
身体ももっと元気になれると思う。


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🍀まだ色々書いていきますが、ゆっくりにします🍀

・・・・・・・






by shugeibu45 | 2019-01-19 13:55 | 線維筋痛症体験記【痛みの記憶】 | Comments(0)

痛みの記憶16 私の中のみんな


こんなに痛くて、苦しくて苦しくて
正直死にたいと何度も思った。

っていうか、毎日何度も思っていた。

多分、身体をなくしてしまう事は
案外簡単に出来るのかもしれない。

だけどそれをしなかった。

物理的には近くに高い建物がなかったし、
もしあっても、そこまで行く体力がなかった。

けれど、やっぱりあってもしなかったと思う。


それは、
身体だけなくしても
私をなくせない事をなぜだか知っているから。


たとえ死のうとしても、
足が無くなろうと、半身不随になろうと
私は簡単には死なせてもらえないことを
いつも感じている。

それに、
肉体的にも更に痛みが増えるだけ。

それはもう絶対に無理!!!!





幼い頃にいつも思っていた。

「わたし」っていうこの感覚はなあに?

死んだら、この「わたし」っていう感覚はどうなるの?




身体にしてもこんなことを思っていた。

一滴の水
それは誰かや何かだったと。

その水はみんなを通って
みんなの気持ちが詰まりすぎている。


雨が降って、木々に降り注ぐ。

雨は草花に当たり、虫に当たり、
小鳥に当たり、熊に当たり、人に当たり
みんなを通り過ぎていく。

水たまりになり、
人や動物たちに飲まれてそのからだに入り、
おしっこになる。

それが土に染み込み、川に流れて、
蒸発して、雲になり、雨が降る。

葉っぱや虫や動物や人のからだが死んで、
溶けて、流れて、蒸発して、
雲になり、雨が降る。

また川に流れ、
魚の口に入り、そのからだを通る。

やがて
蒸発して空へ行く。

再び雲になり、雨になり、雪になり、
また地球に降り注ぐ。



この一滴の水には
あまりにも多くのみんながある。

それを私が飲む。

そのみんなのからだを通った水は私になる。

誰かや何かを通過していない水は
一滴もないのかもしれない。
空気も然り。



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そして、
そこにはきっと
それぞれの「わたし」という思いがある。

その思いは死なないのだと。


だから、苦しいままでは死んではダメなのだ。
また次も苦しい。
もっと苦しみが増える。どんどん積み重なっていくという思いがあるから。

これ以上の苦しみはもう無理、、、。

それが私が自分で死ななかった理由。




昨年、ある心理療法を受けた。

そこで、初めてキメラという言葉を聞いた。

キメラという存在の捉え方は、
私が幼い頃から思っていた
私の中にいるみんなという感覚もそうなのかもしれない。

その療法で取り扱うキメラとはちょっと違うのかもしれないけれど、

正しいとか間違っているとかはどうでも良くて、
私が納得したのでそれでいいと思っている。



こんな風に思いを書きはじめたり、
私を突き動かす思いは、
時には自分だけのものじゃなくて、
たくさんのみんなの思いでもあるのかな。

そして、
全部がひとつということなのかな。



次はもう肉体を持ちたくないって思ってしまう。
だけど、そう思っているうちは無理かな。

辛かった思いを、ありがとうって光に変えられたら
次はもう苦しまない生き方が出来るかな。

だけど、
それが出来るのはこうして肉体があるからなんだってね。

宇宙の暗闇にたった独りきりだったら、なんの変化も起こらないもんね…。


だったら既にありがとうだね。本当は。



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・・・・・・・・






by shugeibu45 | 2019-01-15 11:11 | 線維筋痛症体験記【痛みの記憶】 | Comments(0)

痛みの記憶15 育てたい


「玉ねぎの薄皮を剥ぐように少しずつだよ。」

これは何度も言われてきた言葉。

でも、薄皮が有り過ぎて、まるで終わりが見えない。

少しずつじゃなくて、もっと早く楽になりたいのに!
全くそうはいかない。
本当に気の遠くなるような毎日。



それでも、確実に時は流れて、
自然に力をもらいながら、
音や目からの刺激の異常な敏感さは
多少は落ち着いてはくれていた。



そうすると、自然と自分の身体以外の
何か他の事に意識が向いていった。


冬の厳しい寒さが和らいできた
春のはじめのある朝、

冷蔵庫の中を拭き掃除した。
一段だけ、丁寧に。

首が痛んだけれど、
それが出来たことは大きな一歩だった。

次の日は二段目を。

それから、
父と妹のお弁当を作るようになった。

出来ることが少しずつ増えていった。


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次に芽生えたもの、
それは、「育てたい」という思い。


小鳥屋さんが近くにあったので、
インコの雛をお願いして、
たくさんおしゃべりをする
オスのインコを育てる事にした。

毎日2、3時おきに練り餌をあげて、
寒くないか気にかけたり、
フンを片付けて、清潔にして、、

毎日責任感のある仕事が出来た。

成鳥になったチルちゃんは、
南の海のような綺麗なブルーと黄色の毛が生えそろった。
パステルレインボーという種類。


普段は私の肩にとまったり、
夜はベッドの横の椅子の背もたれや、
私の頭の上の方の枕元で寝たりして、
いつも一緒だった。


「チルちゃんおはよう!」と話し掛けていたら、
1週間後に突然喋り出した。

インコには練習をするという事がないのだろうか?

次は、
「ようこちゃんおはよう!」

そして、おじいちゃんが遊びに来るので、
「おじいちゃんおはよう!」と教えていたら、

チルちゃんとおじいちゃんが混じって、
「オジルちゃんおはよう♫」になっていた。笑


歌も、
♫ポッポッポッー(語尾が上↑) ハトポッポッー!
と私の指に合わせて、顔を上下に振って歌ったり、

♫咲いた〜咲いた〜チューリップの はっ!
で止まったり。

オスはメスの50倍のお喋りをするらしく、
面白かったな。


頭に鼻をくっつけると香ってくる
クルミのようだと例えられるインコの匂いや、

小さな足でぎゅっと私の指を掴む
ふわりと軽いインコの感触を覚えている。


チルちゃんは私の不注意で飛んで行ってしまったり、、
色々あって、2代目チルちゃんや、
ルルちゃん、たーくんもうちに来てくれて、
そして、オカメインコのキリちゃんも雛から育てた。


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この頃はまだ30キロ前半のガリガリ。

筋肉がほぼゼロになってしまった状態からの回復はなかなか難しい。

頭を支えるにも首が保てない。

出掛けてみたくても洋服も重い、
肩が凝ってコートなんて着られない。
かばんも持てない。

身体を支える体幹の筋肉もないので座ってもいられない。

この時から20年経つけれど
まだ理想の体重までは戻っていない。

声を大にして言える事は、筋肉大事!お肉大事!
なくなってみて思う事。






その頃うちにはさくらという雑種のベージュの犬がいた。

それまではあまりにも具合が悪くて、
ちゃんと撫でてあげることすら出来なくて
寂しい思いをさせてしまった。

とても臆病だけれど優しくて大人しいさくらは、
じーっと丁度良い距離で見守っていてくれた。


姪っ子も産まれて、みんなで一緒に遊んでくれたのよね。


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・・・・・・・・



by shugeibu45 | 2019-01-14 07:59 | 線維筋痛症体験記【痛みの記憶】 | Comments(0)

痛みの記憶14 自然に癒される


冬のとても寒い日に雪が降った。

南天の木にも降り積もり、重そうに垂れ下がっていた。

思わず外に出て、ほうきで雪を振り払う。

寒いし疲れるからやめなさい!と母の声がしたけれど、

新鮮な空気と雪の感触が心地良くて、
しばらく銀世界を感じていた。



24時間やまない ぶっ倒れそうな頭痛や
身体中の細胞が悲鳴を上げているかのような
激しい痛みと吐き気でぐったりな状態なのに、

外の空気と雪と木々に触れているその時間だけは
すーっと身体から何かが抜けて、そして入って来て、
身体の芯が少しだけシャンとなって
苦しみが半分になったような気がした。



確実に私を癒し、力をくれている。

自然の力ってすごい!



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それから少しして、
ほんの近くの山の麓の市民農園が見渡せる歩道を
よたよたしながらゆっくりと散歩してみた。


普段は、誰と会ったなどの報告や会話を一切しない父なのだけれど、
私の姿を畑から見ていたらしく、
「ようこが歩いてたよ!」と母に報告したらしい。

さすがに驚いた出来事だったのだろう。





それから少しして、
近くの梅林の丘にぐったりと重い身体を引きずるようにして登った。

丘の上は360度山が見渡せる。
ここはお散歩でよく来ていたお気に入りの場所。

3回くらいゆっくりと丹田呼吸をする。

深呼吸がこんなに体力を使う事だと驚く。

そうするとやっとお腹がすいて、
一口のおみそ汁も食べた後ぐったりしないでいられた。


それから、
少し下ったところにある山桜の木に必ず会いに行く。
この頃会える唯一の友達のようだった。

両手で抱えて、目を閉じて桜の体温を感じる。

「寒くて厳しい冬が終わったら、必ず春には咲こうね。」と話しかけた。



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梅林の何百本の梅が咲きだすと甘い香りに包まれる。

裸足になって大地を感じ、寝ころんで空を眺めていた。



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小川の中に手を浸すと、
つんつんと小魚がつついてきた。


個々の境い目がなくなって、
自然の一部に溶け込んで、
私が人間でないような気がした。



その頃から、そして今でも、
家の中にいてパソコンや暖房や
電化製品によって辛くなると外に行く。

葉っぱを触り、土を触り、
水を触り、雪を触る。

そうやってアース出来ることを
身体が知っていて、求めている。



そんな風にして
たくさんたくさん自然の中で癒されてきた。



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by shugeibu45 | 2019-01-13 07:05 | 線維筋痛症体験記【痛みの記憶】 | Comments(0)

痛みの記憶13 再び音を聴いた日


音が異常に響き、耳栓をする生活はとても孤独で、
とてつもなく長く感じた。


日差しが暖かな1月4日の事、
母が外の空気を吸いに行ってみない?と私を誘った。

それはものすごく勇気の要ることだった。

無理だと言ったけれど、
山の中にあるグランドへ母の運転する車で向かった。

たったの5分の距離の遠出。

敷物とクッションに腰を下ろして、
頬に当たる風を感じていた。

数ヶ月振りに暖かな太陽の日差しが私を包む。



母が耳栓を外してごらんと言った。

それはもう絶対に無理だと思っていた。

けれど、何となく大丈夫のような気もしてきた。


右側の頭痛の方がひどかったので、
恐る恐る反対側の耳栓をゆっくりと外してみた。


サラサラと笹の葉が風に揺れる音と小鳥のさえずる音

それはまるで初めて地球の音を聴いたような新鮮な感動で、
キラキラと光が降って来るかのようだった。

少しして、ハッと不安にかられてまた直ぐに耳栓をした。

1分にも満たないひと時の音のある世界は
暗黒な療養生活に微かな希望をくれた魔法のようだった。




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by shugeibu45 | 2019-01-12 07:51 | 線維筋痛症体験記【痛みの記憶】 | Comments(0)

痛みの記憶12 体験記を書く中でインナーチャイルドが癒される


この体験記を書いていて、何か不思議な体験をしている。


書いていると当時の苦しみを思い出してぐったりとする。

パソコンに向かって頭を使い過ぎると、
胃腸にエネルギーが回らずに気持ち悪くなるし、

全身がズル剥けのようにヒリヒリとして、
身も心も痛んで、体を抱えてうずくまる。

しばらくそうしているといろんな思いが出現してくる。




線維筋痛症を発症する半年程前の
高校1年の冬に、体育のハンドボールの授業で
右の人差し指を突き指をして骨折した。

学校の近くの病院で添え木を当てられて、
安静にするように言われていたのに、、
負けず嫌いの私は部活に出て鉄棒をつかんでいたし、バク転もして大会に出ていた。

指先の骨はもちろん付かずに手術となってしまった。

それが、なんと麻酔が効いていなかった。

指先はおそらく一番敏感な所。

看護婦さんが痛いって言っていいのよと
言ってくれたのに、何故かひたすら耐えていた。

小さく痛いといったと思うが、何故か麻酔が効かない。

何の罰か虐待かと思うほどの、
気絶しなそうな激痛を感じ、
人生において、こんな苦しみはもう二度とないだろう、、
今さえ耐えたら、、、と思い、耐えることになってしまった。

その半年後に全身の痛みを発症したので、
この時に痛みスイッチが入ってしまったのだと
思っている。わからないけど。


夕方、手術が終わると体力を消耗し尽くし、
へとへとに疲れてしまい、
母に駅まで迎えに来てくれるように電話をした。
急に心細くなり、今日起った恐ろしい出来事を
早く聞いて欲しくなった。

車で来てくれた母は、
もう、、何やってんのよ、、と呆れて少し怒って言った。

忙しいのに迷惑だわ、、と捉えてしまった。

泣きそうな気持ちを話すことはやめた。


・・・

昨日、部屋でうずくまっていると、
忘れていたその頃の事がリアルに再現された。

ああ、、痛みに耐えた時の恐怖もそうなんだけど、
その後のことが寂しかったんだ、、、。

ケアされたかったんだね、、と分かった。


その時の16歳の私に、
もう大丈夫だよ、怖かったね、痛かったね、
無理しないで安静にしていたらよかったね。
痛いから麻酔を追加してくださいと言えたらよかったね、、、。
と言って、ぎゅっと抱きしめた。






また、
10代のころの私は、
超高層ビルの上から落下して、
摩天楼の夜景の中に飛び込みたい願望があった。

空しい心の自分をなくしてしまいたくて、
現実逃避の為に、憧れのように毎日その妄想をしていた。

決して地面に叩きつけられて死にたい訳ではない。
エンジェルフォールのように、落ち切る前に
途中で霧のように消えてしまうかのような、、、。
胸の苦しみごと。




昨日うずくまっていると、
久しぶりに妄想の中で高いビルから落下して
空中をゆっくり飛んでいた。

すると、あと3メートルくらいで地面だというところで
カラフルなお花の絨毯が横からすっと表れて、ふわりと私を受け止めた。

そして、私の大好きな畑や自然の中に連れて行ってくれた。

そこには
4歳、10歳、16歳、17歳、18歳、21歳、24歳とそれぞれの年齢の私がいて、
私と16歳の私を迎えに来て、
みんなで手をつないで輪になった。

もう大丈夫だよと言っている。しかもみんな笑顔だ。

ああ、インナーチャイルドが癒されたんだと思って、嬉しくて泣いた。



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誰かや何かに癒してもらうのではなくて
こうして自分で癒せるのだと分かった。






エンヤの静かな曲にも助けられている。


by shugeibu45 | 2019-01-11 07:59 | 線維筋痛症体験記【痛みの記憶】 | Comments(0)

痛みの記憶11 心の解放と考察


「アンタが最初に行くべきところは
整形外科でも内科でもなく、心療内科だったんだよ。」

鍼治療の先生は、
私が心にたくさんの苦しみを抱え過ぎている事に
気が付いてくれた初めての大人だった。


「とにかくアンタは思っている事を口に出しなさい。
それで相手がどう思おうが、泣こうがわめこうがどうでもいいから!」


両親を呼んで私の状態を説明してくれた。

その日か翌日の、暮れの12月30日の事。

説明を受けて帰って来た父が、
先生がようこは思っている事を言えってよ、と言うので、

じゃあ、、と話し始めたが、、
堰を切ったら、、、3時間!


この頃は未だ、母と共依存で苦しんでいる事に
自分で気が付いていないので、
母が唯一の理解者だと思っているし、
実際にそうだったけれど。
日常的に世話も何もかもを母に頼っていたので、
母に対してよりも、
無関心な父に対しての不満が膨大にあった。


私がぶち撒けた事により、
母もぶち撒けたので、
父もオレだってと初めて自分の思いを口にした。

殆どは、母の父に対しての
または逆の、お互いの不満だけど。


父はまさか私が自分に不満が向けられている事は
全く想像もしておらず、心底びっくりしていた。

その日は頭の中が興奮して眠れなかったと言っていた。

だけど、
あれだけ凄まじい思いの交換をしたと言うのに、
2、3年後には何も覚えていなかった!

忘れることが大得意である。

一方私は、忘れられない事が大得意なのでとても苦しい。



父は相槌を打たないし、思っていることを口にしない。
顔の表情もまったく変えないので、どう感じているのか分らない。
私たちは壁に向かって話しているようなものだ。


いつもそうだけど、この家族は、
ぶちキレる前に穏やかに会話をしていれば済むものを、
お互いがそれが一切出来ないので、
不満になり、怒りになり、責め合っている。


本当は父は穏やかな平和主義者。
良いも言わないけれど、悪いも言わない。
悪いように言うと無関心。

他人の思いや空気を読み過ぎる
外的自我境界が超薄い私とは正反対のタイプ。

えっ!?今それを言っちゃう??と
耳を疑うような辛辣な発言をしてしまうことが
多々あるので、聞いていて焦るけど、、、。

でも他人と争うつもりはなく、常に平らかで、
焦ることなく、マイペースで非常にゆっくりとしていて、
一人でいる事を好む。



多分、会話が普段からスムーズに出来ていたら
家の中がこんなことにはならないと思う。

そういう方向に持っていけなかった周りの家族にも非はあると思う。


私が今家族と離れて暮らしてみて思える事。

色々な家庭の「夫」や「お父さん」と交流してみて、
父に対して見えてくる良いことがある。


だけど父は、
会話や同調すること、それが不得意。

不得意だと言う事に周りが気がついていない。
だから苦しんだ。


数年前に心理カウンセラーに教えてもらった。
レッテル貼りはしなくていいんだよと言いながら私の事を、そして父の事も。

え?!だって父は勉強の頭がすごくいいんですよと私は驚いて言った。
先生は、そうなのですよって。

本を読んでみたら9割型当てはまり、
オレの事だ、、と父も言った。

なんだ、、そういう事だったのか、、。

じゃあ責めても仕方ない事だったんだね、、。

知らないことは悲劇。

そのすれ違いが我が家の “家族という病” であり、
こんな風に病気という形で家族の歪みが表れているというのもあるだろう。



私が今、毎日畑にいて癒されている事はそこだと思う。

とにかくよく会話をする。

ああ、そうか〜。
へぇ、そうなんだ。
なるほどね〜。

そんなやり取りがあって、
心が満たされて癒されているように思う。


その中でも私にしか愚痴を言えない人がいる。
私は家の中で散々その役割をして来たので、もうゴメンだ。
だから、直ぐにみなさんその人の思いを伝える、
みんなで少しずつ協力してやって行きましょう!と。

直接本人に言えばいいのに、そうしないと気が付かないよと言っても、
嫌な事は言いたくないから、、と言う。
だったら私にも言うなよ!という感じ。
もう40年以上の家族同士の付き合いなので何でも言える。
娘がいないので、娘ってこえ~な、、と思っているでしょう。

自分の苦しみが明確になっている。
もうゴミ箱にはなりたくない。




そして、
この体験記がまた書けるようになった。

更に、私が今これを再び書き始めるのには、
先日書いた、「人生相談 我が家の反響」
母との関係を見つめる事が先になされて、

それからでないと、
2年前に止まってしまったこの続きが書けなかった
ということが今分かった。



線維筋痛症の痛みの体験記を書いているのに、
結局ここに話がいってしまう。

家族の事は向き合わざるを得ない最重要課題なのだなぁって、、、。



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・・・・・・・








by shugeibu45 | 2019-01-10 08:11 | 線維筋痛症体験記【痛みの記憶】 | Comments(0)

痛みの記憶10 自然療法の手当て


そんな幽閉のような生活がどれくらい続いたのだろう…

多分、耳栓の数からしたら数ヶ月か、もっと一年くらいは経っただろうか。


ある時、どうにか繋いでいた糸がぷっつりと切れてしまった。

わーー!と叫んで、部屋の中のものを叩き壊した。

母が気が付いて、
大丈夫、一緒に治していこうと言って抱きしめてくれた。



鍼灸院の先生に、
もうだめかもしれない…と弱音を吐いた。

「オレも家族も周りが一生懸命に治していこうとしているのに、
アンタがダメだと思ってどうする!」と一喝された。

「だけど、本当によくがんばっていると思うよ…。」

いつも怒られてばかりの先生に初めてそんな事を言われた。



その後、少し回復した時に、
もしかしてだけど、27キロになってしまった私が
死んでしまうかもしれないと思った事もあるそうだ。
その時には治療師を辞める覚悟だったと。



病院には2,3年前のスポーツ整形外科のあと、
紹介された有名な脳神経内科、外科の医師を受診をしたけれど、
やはり原因も治療法も特には分からない。

又は、
アンタ鍼治療なんか信じてるの?◯◯◯真理教と同じじゃないか!と怒られて、
心療内科に回されてお仕舞いになっていた。
丁度、世の中ではある宗教団体が大問題になっていた頃。


やはり、
鍼治療だけを受けていて、
食べられなくなって27キロになって死んでいたら
大問題になっていたのではないだろうか…。


実際母は周りの人から、どうして病院に連れて行かないの?と言われていた。

だけど、私が鍼灸院にかかっていて、
毎週、講義のように薬や添加物、砂糖や肉食の害などの話を聞き続けて、
その考え方にどっぷりと感化されていたので、

もはやどんなアドバイスも聞き入れないことは分かっていた。

もし、病院に行っていたらどうなっていたのだろうか。

点滴を受けて、栄養補給もされて、
あんなにやつれて筋力も体力もなくなる程までにはならなかっただろう。

どうしてそう考えられなかったのか。

それは薬漬けになるから。

この数年後に、もっと良くなりたいと思ってしまい、
教えてもらった情報で受診した病院での治療で
結局そうなってしまったけれど、、、

手の施しようがなくなり、
麻酔と薬漬けの状態になり、更に苦しみを作ってしまった。

まだ気が付いてはいなかったからだけど、
私は化学物質過敏症があったので、
どの道苦しみは増えていた事と思う。



あの頃は薬や添加物の害を抜くために東城百合子さんの
「家庭でできる自然療法」の本を参考に
食事療法と手当をしていたわけだから。



鍼治療の先生に勧められて行っていた
手当は生姜のこんにゃく湿布と里芋湿布。


生姜湿布で温めて乳酸などの老廃物を浮き上がらせて、
里芋湿布でそれらを吸収させる。

これが本当に私の痛みを取るのには最高で、
他に勝るものはなかった。

生姜のこんにゃく湿布で肝臓と腎臓を温めると
気持ちが良くなり必ず眠ってしまう。


頭痛がもの凄かったので、頭にも里芋湿布をしたかった。

髪の毛を剃りたいくらいだと鍼治療の先生に言うと
是非そうしなさいとなり、

後頭部の下半分を剃ってしまい、
上半分の長い髪の毛で隠していた。

全部の刺激が痛みになるので
友達や恋人とも会えなくなっていたから
全部剃っても良かったのだけどね…。
23、4歳の娘の恥じらいがまだあった。



けれど、里芋湿布の支度は手間がかかり、
よっぽど気持ちをしっかりと持っていないと
続ける事は家族でもなかなか難しいかもしれない。

他に頼る術もないし
私は自分の事だからもちろん本気で取り組んでいたのだけど、
何しろ身体中痛いし、体力がない。

痛みが24時間絶え間なく起こっていたために、
夜中でも湿布をしたくなってしまう。

冬の夜中に母を起こすことは忍びなくて、
自分でがんばってみるのだけど、
それをする事でまた首や頭に痛みを呼んでしまいイタイイタイと言う。

母に、それだったら夜中でも起こしなさいと言われて、
どうしても頼ることになる。

だけど、
寒い夜中に里芋を擦る事や世話に、
母も家族も疲弊してしまった。


毎日毎日、娘のイタイイタイを聞きながら、、、
また、寒い痛い大変だと文句を言われながらの手当の準備に、
お互いを労わり助けたいにもかかわらず
どうしても苦しめ合ってしまう。


ここでもやっぱり我が家は母ばかりになってしまう。

母にしたら、もっと夫が父親として
家族に関心を持って、
どうした?と一言でも声をかけてくれたら…、
もっと向き合ってくれたらいいのに…と責めてしまう。

ちゃんと意思の疎通が出来ていないので、
そうい願いがただただ怒りになっていく。


夫の病気、、
次は娘の病気、、、
私が一人で抱えて何でもしなければならない。
どうしてこんなに苦しんだろう、、、
と母は鬱々する。


その空しくて寂しい気持ちは、
冬の寒さと、
里芋を擦る時の擦り傷の痛みと、
里芋湿布に入れる生姜とごま油と
古くなった里芋湿布の匂いと共に
母のトラウマにもなってしまった。




「ねえ、、これいつ治るの?」

「私(オレ)には誕生日もクリスマスも何の楽しみもない。」

「本当にこれでいいの?」


うん、本当に申し訳ないと思っている。

でも、、

そんなこと言われても、、
私が聞きたいよぉ、、、

私いつ治るんですか????



自分が迷惑な存在だと思って、
益々消えてなくなりたくなる・・・。


by shugeibu45 | 2019-01-09 07:59 | 線維筋痛症体験記【痛みの記憶】 | Comments(0)

痛みの記憶9 痛み地獄


五感の敏感さも異常さを増していった。

音も光もすべてが痛みとなった。


妹が、見て、これを買ったんだ!と
目の前に洋服を差し出した。

それが痛みとなって飛び込んで来た。

バットで殴られたかと思うくらいの衝撃を受けて泣き狂った。


目に入るものすべてがそんな具合になっていった。

部屋の本棚の本が目に入らないようにと白い模造紙で覆った

蛍光灯もまぶしくて、ローソクを灯して過ごした。



ある時、母が私のすぐ後ろで、
スーパーのビニール袋を畳むために
上下を持ってパーンと引っ張った。

その音に異常な痛みの衝撃を受けて、
痛い!やめて!!と叫んだ。



父がおはようと声をかけてくれた。
その声が衝撃となり頭痛が起こる。

家族に声をかけないように頼んで、耳栓をして自室で過ごした。

これは10個も使い潰した。
後に、溜めておいた箱10個を景品の耳栓と交換したので覚えている。


痛みを感じると、2,3日はとても苦しむことになった。
その時に出てくる恨みの感情に自分が恐ろしくなる。

家族には声をかけないでとお願いをして、
電気を消した暗い部屋で、
母とだけ最低限必要な一言を気を付けながら
ひそひそ声で交わすだけの生活。

身体中の激痛と強い吐き気で毎日ただ横たわっていた


空しくて苦しくて泣くのだけど、むせび泣くだけの体力がない。

ただ流れる涙をたれ流すだけ。
それをぬぐうために腕を持ち上げる体力もない。


線維筋痛症の痛みはよく
「血管の中をガラス片が流れるような痛み」と表現されて、
身体を触ることが出来ない人がいる。

私の場合は特に何か動作をしなくても、
身体がどんどん凝り固まって来てしまい、
30分置きにでもマッサージして欲しかった。

髪の毛と爪以外はまるで細胞の全部が
意思を持っていて、
ギャーーと叫び声を上げているような
これ以上ないと思えるほどの壮絶な痛みを感じていた。

もしかしたら、原爆にあった人たちは
こんな感じだったのではないかと思っていた。


母は横たわる私に、
「どうしてあげたらいいんだろう…。
髪の毛だけは良く産んであげたね…」と私のサラサラの髪の毛を撫でて小声で呟いた。


1分、10秒、、、時が過ぎるのが恐ろしく長く感じた。

10年、20年と時が一瞬に過ぎてくれたらいいのに、、と
時間と未来を恨めしく思っていた。


拷問のような、幽閉されているような生活に
どうしてこんな事になっているのだろうと悶々とする。

自分が悪かったのかとも思えてくる。

ほんの些細な意地悪や嘘や、
これまでの自分の行いを思い出して、
ぐったりと気持ち悪いお腹を抱えて、
床に頭を付けて、
ごめんなさい、ごめんなさいと懺悔した。

また、
子供のころに遊んでいた小さな人形を抱えて
それが自分の未来の子供のような存在に思えて、
「今はこんなに苦しいけれど、
お母さんはあなたたちにいつか会うためにがんばるよ…」
などと話しかけたりしていた。


細くて繊細な今にも切れそうな心と命を
ぎりぎりのところで皮一枚で何とか繋いでいたという感じ。



あのころの夢は、
母と5分間話ができたらいな。
ラジオを30分聴けたらどんなに世界が広がるのだろう…
というものだった。

そんな日が来るなんてとても信じられなくて、
果てしない遠い未来のことのように思えていた。




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by shugeibu45 | 2019-01-08 09:21 | 線維筋痛症体験記【痛みの記憶】 | Comments(0)

痛みの記憶8 食べられない地獄


食べると背中がショック状態となり激痛が走る。

食べることがこんなに怖いのにお腹がすいている。
本当はものすごく食べたい。



ある朝、冷蔵庫の前にごみが散らかっていた。

誰かが何かをこぼしたのかなと家族がそれぞれ思っていた。

よく見るとそれは、冷凍庫に保存しているはずの
私しか食べない玄米粉の蒸しパンだった。

それが食い散らかしてある。

おそらくようこが夜中に食べていたのだろうという事になった。
それしか考えられないと。
しかも冷凍のまま。

夢遊病なのか?
よっぽど身体が飢えていたんだね…。

食べたのなら、
なぜ背中が張っていないのかが不思議だったけれど、、。



だけど、普段の食事は、玄米一口に、お味噌汁一口とカボチャを一口、
その程度を恐る恐る食べるという具合。

時々油断して一口でも多く食べると、そのショック状態たるや、、、

背中に走る痛みに苦しみ、
数日間は水さえも痛いということになってしまう。


食べることの楽しみが奪われてしまった。

全身の激しい痛みに加えて、
絶えず強い吐き気があり一日中ぐったりとしていた。



42キロあった体重が、みるみる落ちていき、
とうとう27キロの骨と皮になってしまった。

今は親指と人差し指で輪っかを作るとそれは手首の太さだけれど、
あの頃は二の腕がこの細さになっていた。

腕や足の骨からは、お肉じゃなくて、皮がプラプラとぶら下がっている状態。



2階の自室にはもう上がる体力がなくて、
1階の客間に布団を敷いて寝ていた。

ある時、大きく揺れて、
あ、地震だ!と思った。

けれど蛍光灯は揺れていないし、母に聞いても揺れを感じていない様子。

地震だと思ったその揺れは、自分の内臓が震えていたのだ。

翌日、鍼治療の先生に話すと、
私の身体が生命の危機を感じて、
熱を発するために内臓が自ら震えたのだと言う。


栄養が行き届かずに、手指の先は
皮膚が薄くなり破けて血がにじんでいた。

身体の先端の手足の先の枝葉は後回しで、
とりあえず生命に関わる中心部を守るために
そんなことが起きていた。



また、
痛みで2時間ごとに目が覚めてしまう、真夏の夜中の事。

いつものように眠れずに横たわっていた。

自分の手のひらをお腹にかざしてみると、
手のひらからビリビリと電気のような物凄い氣が感じられる。

手のひらをどこに動かしてもビリビリの氣が付いてくる。

あの日々以降、同じ事をしてもあれ程の氣を感じた事はない。

あのような生命の危機の中では力を発揮するのか。

自分を癒す力は自分にちゃんと備わっているか。



こんなにも消えてなくなってしまいたい程の苦しみの中、
それに反して私の身体は生きようとしている。

身体は確かに私のものなのに、
まるで別の意思を持っている生き物かのように、
良くなろう、治ろうとするのだろうか、、

それが宇宙の法則なのか、、

頭で考えても分からないレベルで
私たちは生かされているようだ。

生命(いのち)とは何という力を持っているのかと本当に驚いた。





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by shugeibu45 | 2019-01-07 09:11 | 線維筋痛症体験記【痛みの記憶】 | Comments(0)

痛みの症状(線維筋痛症・化学物質過敏症)があるけれど、ささやかな手芸活動Cherry Creek(手芸部☆ようこ)と大切な友達との繋がり、自然に触れる事で癒されている日常を書いています。(since2012.12)


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